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2021年03月06日07:35

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左手首

初めて左手首に腕時計を着けたのは、中学生になったとき。
当時はそういう風潮があって、学生服や中学生向け月刊誌とともに、TVコマーシャルも流れていた記憶がある。
両親には「いらない」と話していたが、叔父が贈ってきてくれた。
嬉しかった。
それ以来、外へ出かけるときはずっと腕時計を着けるのが普通という日を過ごしてきた。

初めて左手首に数珠をつけたのは、10年ちょっと前に永平寺を訪れ、雪害対策の寄付をした御礼品に頂いたのが切欠け。
それ以来、外へ出るときにはずっと数珠を着けるのが普通という日を過ごしてきた。

「きた」と過去形にしたのは、年明け頃からそうでは無くなったから。
数珠を繋いでいたゴムが寿命を迎えて、玉が散らばり落ちて幾つかを失ない、着けられなくなった。
前後して時計の竜頭が締められなくなった。
時間の遅れもかなり進んでいたことも合わせての修理を躊躇っているから。

この一月と少し、どうも左手首が寂しい。
時刻を知るのにわざわざスマホを出すのも億劫だし、数珠が無いことで「護られてる感」を持っていた自分にも気付かされた。
何よりその質量が無いことに違和感がある。

まず買値よりずっとかかりそうな修理は諦めて、新しい時計を買うとしよう。
次は機械式じゃなくていいや。
優柔不断なオレは、またオーバーホールするか買い替えるかで迷うのだろうから。
それまでは、1日に2回同じ時刻で止まってしまう以前着けていた機械式時計を再登板で


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