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2021年03月05日05:26

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3月5日

ドイツでナチス政権下における総選挙。ナチ党と国家人民党の与党が過半数を獲得:1933年のこの日。1933年3月5日のドイツ国会選挙(Reichstagswahl vom 5. März 1933)は、1933年3月5日に行われたドイツの国会(Reichstag)の選挙である。国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党、NSDAP)政権下で初めて行われた国会選挙であった。
1933年1月30日にナチ党党首アドルフ・ヒトラーがパウル・フォン・ヒンデンブルク大統領より首相に任じられた。ナチ党は第一党ではあったが、いまだ国会の議席の過半数を獲得していなかったため、議会の安定的運営は不可能だった。そこでヒトラーは、首相就任からわずか2日後の2月1日にヒンデンブルク大統領に要請して国会を解散させた。選挙の結果、ナチ党は得票と議席を大きく増やし、共産党は議席を減少させたが、依然として目指していた単独過半数には届かなかった。しかし、ヒトラー内閣の与党であるドイツ国家人民党をくわえれば過半数には達している。さらに3月9日には共産党が非合法となり、その81議席は再選挙を行わずに議席ごと抹消された。この結果、ナチ党は単独過半数を獲得した。ヒトラーが国会演説で「今や、この数週間のうちに、他の国民的団体と結んで1918年以来、ドイツを支配してきた勢力を排除し、革命により国家権力を国民的指導部に取り戻した。(投票日の)3月5日は、ドイツ民族がこの出来事に彼らの同意を与えた日だったのだ。」と語ったように、ナチ党はこの選挙結果を従来の統治とは異なる「ライヒ指導」つまり「ナチス党及びその指導者であるヒトラーが民族とライヒを指導する」という新たな政治形態がドイツ民族に『信任』された勝利であるとした[5]。3月21日の新国会開会日は「国民高揚の日」と名づけられ、国会議事堂は全焼していたためポツダムのフリードリヒ大王の墓所のある衛戍教会(Garnisonkirche)で、ヒンデンブルク大統領の臨席の下、ヨーゼフ・ゲッベルスの演出による壮麗な開会式が開かれた。この日はポツダムの日(Tag von Potsdam)と呼ばれ、歴史的な転換点の一つとされる。国会開会後は、議事は臨時国会議事堂にあてられたクロールオペラ劇場(Krolloper)で開催され、3月24日には全権委任法が可決され、議会はその権力を実質的に失った。また、ナチ党は選挙結果発表後まもなくバイエルン州などの地方政府の掌握を開始し、地方政府は次々にナチ党の手に落ちた。さらに7月には政党禁止令の発布によりナチ党以外の全政党が解散に追い込まれ、新規政党の設立も禁止された。次の同年11月の選挙はナチ党のみの選挙になった。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、警察官(左)とSAブラウンシャツ(右)、党によって「Hilfspolizei」(「補助警察」)役員として任命されたプロイセンの5万人のナチの一人。
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