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2021年03月02日08:40

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なぜ、人形は怖いのか(霊、宗教、哲学)

先日、在外公館に赴任する長女の送別の宴を、家族で催しました。

二年は、帰ってこられません。したがって、田舎の母もよびました。今生の別れになる可能性があるからです。

母は、「霊の世界でつながっているから、会えなくても大きな問題ではない」と言っていました。
そのとき、ごく自然に「そうだ」と思えました。ちなみに私は、いわゆる来世はあるとは思っていません。

輪廻と言います。何が輪廻するかと言うと、たとえばある人はこう言いました。
「あんたが、死ぬ。そうすると、本が散らばったパソコン回りなどの痕跡が後に残る。それが輪廻だ」
(まあ、これは、仏教の高級な、一般に伏せられている思想の一つです。話はそれますが、他の宗教に見られない仏教の救いを活かすためには、☓☓学会などの通俗仏教を何とかしないといけません。あそこは、見事に戦争支持になりました。)

かつて霊があった痕跡、容れもののようなものはそこにありますから、霊があると信じる人にとって、そこに霊があると思うことでしょう。
たとえば、娘が輪廻を信じているとします。母(祖母)の死に目に会えなかったとします。ところが、将来、母(祖母)そっくりな面を持つ子どもが出来たら、彼女にとって「母(祖母)の生まれ変わり」母(祖母)の霊の容れものになります。

我々現世に生きる人間も、思考や感情があってもそれらが個々のその場限りの現象ではなく、魂と言えるそれらを統合するものがあるか、怪しいものです。脳の怪我で人格が変わる場合もあるからです。しかし、我々は一応、魂のような統合している人格があると信じて、生活しています。生まれ変わりを信じるのは、それと大差がないことであり、迷信だなどと一概に退けられません。

だからこそ、「生まれ変わりを信じる者にとって、生まれ変わりは存在する。信じない者にとって生まれ変わりは存在しない」という考えも成り立ちますが…

もう一つの問題があります。
仮に、娘が生まれ変わりを信じたとします。すると、その新しく生まれた子の、母(祖母)のパーソナリティを作っているのは、娘だということになります。しかし、新しく生まれた子は、独自に成長しますから、次第に母とは違う人格になります。だから、「生まれ変わり」説も、熱烈なものではなく、たまに思い出す程度のものになるでしょう。

しかし、それが人形だったらどうでしょうか。
受けた魂が100%になり、人形が独自に生活して培った魂がないということになります。

私は今までの人生で、人形が泣く…という話を聞いています。
人形についてはなぜか、そういう禍々しい話しか聞きません。
ペットのように、何かを教えてくれて主人の命を救った、恩返しのために美女に変身して主人と一夜を共にした(異類婚姻譚といわれる定番の民話の類型です)…というものは、ありません。

人が込めた魂が100%だからです。

人形が怖い、あるいは、この山芋が怖い…という心理は、人が込めた魂への不信感、すなわち、人間が怖い…ということだと思います。


あまりに怖すぎる形の自然薯(じねんじょ)が発見されてしまう 「特級呪物」「猿の手」「マドハンド」と反響
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=6430018
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