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2021年03月01日14:17

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原発雑考第392号    『原発事故と小さな命』、福島原発事故10年 世界と日本の原発状況など

原発雑考第392号の転載です。

2021・ 3・5
発行 田中良明
転載自由
連絡先 豊橋市富士見台二丁目12-8 E-Mail tnk24@tees.jp


『原発事故と小さな命』

 昨年8月に標題の本が出版された(コールサック社、1500円+税)。著者の吉田美恵子さんは、福島第一原発から17kmの南相馬市小高区で暮らしていた方で、原発事故直後から飼い主が避難して放置されてしまった犬と猫の保護活動を始め、状況がつぎつぎ変わる中、今もその活動を続けている。
 本書はその保護活動の記録である第一章と、原発事故発生により津波被災者多数が放置され見殺しにされてしまった浪江町請戸地区の悲劇を、原発安全神話による安全対策の手抜きの帰結として論じた第二章からなっている。 第二章で扱われているのは深刻な問題だが、ここではこれまでほとんど知られていない問題を扱っている第一章に絞って紹介する。
まず心を打つのが、著者や志を同じくする人たちの文字どおり懸命の活動である。立ち入り禁止区域内に放置された犬や猫を救出する。救出が難しければ、定期的に餌やりに行く。この活動で多数の犬と猫が救われた。もちろん立ち入り禁止区域に入るのだから、見つかればただではすまない。それでも、徒歩で、自転車で、そしてバリケードを外して自動車で入って行く。首都圏などの多数の個人やグループもこの活動に参加、協力している。
 立ち入り禁止区域内で商売をしておれば「公益立入証」が発給されて自由な立ち入りが認められたが、動物保護では発給されなかった。このことが示すように地元市町村も福島県も環境省も、動物の保護には冷淡だった。
立ち入り禁止が解除されてからは、空き家の解体が始まり、それまで猫の餌場として使えていた場所がなくなるとか、戻って来た住民の苦情で餌場を撤去せざるをえなくなるとかの新しい問題が発生した。「原発事故の被害住民はそれぞれがつらい思いをして、暮らしてきた。犬や猫たちも同じ原発事故の被害者だが、その苦労は人間とは比べられないくらい厳しい状況だった。人間が犬・猫も同じ被害者だからと思いやって頂きたかった。が、実際は犬・猫たちにつらく当たっていた」という著者の述懐は重たい。


福島原発事故10年 世界と日本の原発状況

 スリーマイル島原発事故(1979年)やチェルノブイリ原発事故(1986年)があって、世界的に20世紀の最後の20年間は原発にとって苦難の時期だった。ところが今世紀に入って、脱温暖化の機運が高まり、新興工業国における電力需要の激増もあって、いっとき原発への期待が復活し、〈原子力ルネサンス〉が喧伝されるまでになった。しかし原発が高コストであることが知れ渡って、〈原子力ルネサンス〉の夢は数年で霧消してしまう。
 そこに福島原発事故が起きた。世界の世論は圧倒的に脱原発に傾き、同時にこの事故によって各国で原発の安全基準が厳格化され、それが原発の建設費増を、ひいては発電コストのさらなる上昇をもたらした。いまでは新設原発の発電コストは、過酷事故対応コスト、放射性廃棄物処理コスト、廃炉コストなどをいちじるしく過少に見積もったとしても、1kWhあたり14円以上というとんでもない高額になると計算されている。
 今世紀に入っての脱温暖化の機運の高まりは、他方で再エネ発電の急成長をもたらした。再エネ発電は、たんにCO₂を排出しないだけでなく、安全、無尽蔵、低コストで、環境、社会、市民生活に親和的な最終電源として定着しつつある。
 福島原発事故と再エネ発電の急成長が、原発にとどめを刺したのである。
 福島原発事故以降の10年には別の面でも大きな変化があった。世界的/地球的なさまざまな危機が同時的に深化したのである。現在の世界は、温暖化、プラスチック汚染、熱帯雨林破壊などの環境危機に、格差・貧困の拡大(経済的危機)、アメリカ大統領選挙で露呈したような深刻な社会的分断(社会的危機)、権威主義体制の増殖と民主主義の機能不全(国際的/一国的な政治的危機)が絡まり合った多面的な危機の下にある。
 世界的にはこの多面的危機への対応が現下の焦眉の課題となっている。原発問題もそのなかに含まれはするが、もはやそのウエイトは大きくない。
 このような世界の趨勢と異なる動きをしているのが日本である。
 日本では、可能なかぎり依存度を低減しつつ、引き続き最大限活用するというのが政府の公式の原発政策である。〈可能なかぎり依存度を減らす〉は、反原発世論を無視できないことの反映であり、〈引き続き最大限活用する〉は、原発への執着の反映である。もちろんこんな矛盾した政策の全体を実行することは不可能で、実際に実行されているのは〈引き続き最大限活用する〉の部分である。原発への執着のほうが反原発世論への配慮よりも強かったということである。福島原発事故を経験してもなお、日本政府とそれを支える勢力の原発への執着はこれほどまでに強烈なのである。
 原発と火力発電(電力供給態勢面でも事業面でも原発と火力発電は一体である)への執着によって、日本は再エネ発電中心の未来型の電源構成への移行(エネルギーシフト)という世界の趨勢に大きく立ち遅れてしまっている。
 原発・火力発電への執着は、脱温暖化に有効に取り組めていないという、もう一つの立ち遅れも招いている。
 地球平均気温を産業革命前に較べて1.5℃未満に抑えることが、気候変動による影響を受忍可能範囲内に収めるために不可欠とされている(IPCC「1.5℃特別報告書」)。そのためには、2030年までに温室効果ガス(GHG)排出を現状の半分程度にし、2050年までに実質ゼロにする必要がある。
 昨年11月に政府はようやく2050年カーボンニュートラルを宣言したが、その実行計画の素案というべき「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」は、原発・火力発電優先と実用化の確たる見通しのない未来技術への依存が目立ち、事実上の「2050年カーボンニュートラル不可能宣言」というべきものになってしまっている(先々号参照)。
 また、2030年GHG排出半減は、2050年実質ゼロへのステップとしても、温暖化が温暖化を加速するという破滅的事態の回避のためにも不可欠だが、上記の政府素案では取り上げられていない。原発・火力発電優先と未来技術依存では2030年排出半減のシナリオを描くことができなかったためだろう。
 他方で、原発推進は実際には立ち往生の状態である。この10年間で5兆円以上の安全対策費を注ぎ込んで、ようやくいくつかの原発の再稼働が認められたが、その数は多くはないし、現実に稼働している原発はどの時点をとっても数基にすぎない。原発の存続に必須の新設については、方針として掲げることすらできないでいる。これらの背景にあるのは、世論の反対、経済性欠如の明確化、司法判断などである。原発推進の立ち往生は、みずからの執着心だけで強引にことを進めようとしたことの当然の帰結である。
 そして原子力産業は、仕事の激減、最後の期待だった海外事業の総崩れ、さらには不人気によって、経営面で行き詰まり、技術保持と人材確保が困難になり、まさに立ち往生=立ったまま死につつある。
 原発は、将来の再エネ中心の電力システムの下では居場所を確保しえず、消え去るほかない。ただし原発執着がエネルギーシフトと脱温暖化を阻害している日本では、可及的速やかな脱原発が必要である。それは日本社会の再生=世界標準へのアップデートの起動力のひとつにもなるだろう


雑 記 帳

COVID-19ワクチンの接種が日本でも始まった。
 先月号で私は、有効性や安全性がそれなりに確認できれば接種するつもりだと書いた。有効性については、短期的な有効性は高いようだが、肝心の長期的な有効性については、当然のことながら分かっていない。
 安全性については、重篤な副反応はごく稀のようだが、中軽症の副反応は、接種が進むアメリカで1月14日までに報告された約100万人のデータでは、倦怠感、発熱、吐き気などを含む9つの症状について、1人あたりの平均発症数が、1回目の接種で1.74、2回目の接種で3.22となっている。2回の接種で1人につき平均ほぼ5つの症状が出ていることになる。極めて多いというべきである。しかもそれぞれの症状の経過(症状が消えるまでの日数等)についてはなんの情報もない。
 日本でも先行接種される約4万人の医療従事者のデータを取るようだが、仕事上ワクチン接種への期待が強い人たちだから、副反応の申告はきわめて抑制的になるはずだ。こういう集団のデータは信頼することができない。 
 一般の人の接種はかなり先のことになりそうで、まだ時間はあるが、副反応について納得できるデータを得ることはできるのだろうか。
 
万場緑地のネコ 第18話 ネコたちが風雨や寒さを凌げるようにシェルターを設置している。昨年までは段ボール箱をベースにしたものが主だったが、この冬は発泡スチロール箱をベースにしたものを本格的に導入した。保温性、防水性、耐久性に圧倒的に優れており、ネコたちも喜んでいたようだ。

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