祖祖父桂次郎の代から、祖父與一郎に代が変わり、家業の車引きが「薪炭商」となったが
荷物を荷車に積んで運ぶ仕事には大差がなかった。明治27年年季が明けて、父親の商売
の後を継いで、翌年父親からの支援を受けて25歳で独立。父桂次郎は53歳で引退した。
祖父與一郎は明治38年35歳で磐田市中泉から鍛冶屋を営む石川吉十の妹「たつ」を
娶る。なぜ、車引きから「薪炭商」になったのかは不明だが、祖祖父が山家から車で荷を
運んでいたことや、炭の需要が増えてきたこと、山家の人たちの現金収入の機会が増えて
皆の暮らしぶりが良く成れば、等と言う動機だと推察する。
古い記録によれば、明治40年には桂次郎の名義で三倉村字岩水の山林炭木を30円で
購入している。これは、山林の立ち木のうち、杉・松・檜・椎茸木を除外して、他の樹種
を全て地元の炭焼職人を雇い炭に焼いて、町まで運んで販売したものだ。
この当時の薪炭屋稼業は順調だったが、明治38年生まれの長男は3歳で、明治41年
生まれの次男は4歳の時に亡くなり、大正2年に生まれた三男は大事に育てられたという
天宮本町の店は、炭屋を営むには手狭だったため、大正4年には、川向745-1に転居す。
この後、大正4年四男、大正9年長女きよが生まれるが、大正12年7月には、妻の
「たつ」が38歳の若さで逝去。この時、三男は小学5年生、四男は7歳、長女は3歳であった。
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