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2021年02月14日14:53

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「麒麟がくる」を考える

 本シリーズの最大のテーマは、「何故、光秀は信長を裏切ったのか」。興味は、この一点に尽きる。 いささか使い古された表現するだが、あえて言う。全てはこれに収束すると言っても過言ではない。
 今回のタイトルと併せて整理するなら、光秀の中で、「信長を倒す」=「麒麟がくる世」といった結論に至る過程がどのように描かれるのか、である。
が、この点、気持ちの良い最終回とは思えなかった。
 光秀の信長に対する「モヤッ」とした気分は共有出来た。が、あのタイミングで、あの決定的な判断に至る状況だったのか、あそこに描かれた情報量だけでは疑問。
それこそ、「モヤッ」としたまま終わったような・・・。
 昨今乱立する様々な仮説を、NHKらしく最大公約数的にまとめ上げるのか、あくまでコンサバにまとめるのか、色々と期待したのだが、シリーズはそのどれにもかすることなく、特に終盤は淡々と史実を駆け足で踏襲し、劇的な波風が立つこともなく最終回となった印象。
 この点、意識的にいずれの仮説にも触れないことが、ドラマの方針だったのだろうかと思えるほど。 唯一、朝廷や将軍に対する姿勢での信長とのすれ違いという方向性を臭わせる。そこで今までと異なる義昭像ということでは一定の印象を残したが、それを「変」の遠因とするには弱くないだろうか。
 何らかの仮説を選択して、エピソードの幅や方向性を狭くすることを避け、「謎」を謎のまま残すことが目的だったと、あえて理解するなら、決定的なイベントに原因を求めるこのとない淡泊な展開が逆に印象を残したとも言えるかも。 

 個人的には、斎藤道三や帰蝶といった毒気のあるキャラクターが、再開以降不在だったことも残念。松永秀久や秀吉あたりが、そうした引っかき回す役所だと期待したのだが・・・。そうした「毒」と光秀、信長の関係性が物語になると期待していただけに。

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