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2021年02月07日22:19

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明智十兵衛

大河ドラマ『麒麟がくる』を初回から最終回まで観た。
最初は、鮮やかな映像と色彩の美しさに惹かれ、長谷川博己の演技力と川口春奈の可憐さに目を奪われた。
その後、木本雅弘の斎藤道三、高橋克典の織田信秀に魅せられているうちに、ドラマに引き込まれていった。
後半になり、他人事と思えず明智十兵衛の苦悩を共有している自分に気が付ついた。

思えば、現代社会において「本能寺の変」は、多くの組織で大なり小なり起こっている。
これまで、私が勤めてきた組織でも現代の本能寺の変は何度かあった。
しかし、クーデター後に組織が改善されたためしはなかった。正義の御旗の基に立ち上がった光秀役の人間が、地位と権力に惑わされ欲を捨てられない姿を嫌というほど見てきた。

幼馴染が創業した会社は、急成長を遂げ「やり手のワンマン社長」の異名をが付いた。
その数年後に突然、彼は社員の総意で追放された。それは、まさにオーナーが子飼いの番犬たちにかみ殺されたようなものだった。しかし、その会社は、悪を追放して楽園になったかというと、内紛が続き数年で空中分解してしまった。

成長、改革の陰に強力なリーダーシップは不可欠である。
それを強く推し進めるためには、常識を超えた判断も出てくるだろう。
組織の中にひずみも、犠牲も、矛盾も包含されるであろう。

強い信長型のリーダーには、明智光秀型の片腕となる部下がいる。
信長がその部下を信頼すればするほど、無理難題を押し付けてくる。
それをどう対処するかが光秀型部下の最大の苦悩である。

これまでの教訓から学んだことは、「本能寺の変」はたやすいものではない。
君主の首を獲れば解決するものではないということだけだ。







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