mixiユーザー(id:22504749)

2021年02月01日23:12

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麒麟がくる

麒麟がくるTVを観ていて、長谷川博己(明智光秀)の演技が他人事ではないような苦しさを感じた。
思えば、今の自分のようだ。
剛腕、やり手のワンマン上司にスカウトされ、それに使えてきた。
誠実に応えてえてきたつもりだが、それで満足してもらえるどころか益々要求はエスカレートしている。
トラブル、矛盾、ひずみの中に投入され、常に板挟みの日々・・・(にが笑)
そうこうしていると望外な抜擢(当事者の私が納得できない)に対する妬みの渦(これが凄い)
ポジションが上がれば、さらに要求のレベルは上がる。
そんな中で、また新たなタスクが立て続けに下りてきた。

麒麟がくるを観ていて
まるで信長に仕える明智光秀のような自分に気づいて愕然とした昨夜だった。
年末年始も、土日も仕事をしたためている自分に、長谷川博己(明智光秀)の苦悩の表情がオーバーラップして見えた。

断言できることは、自分は本能寺の変は起こさない。
それ以外は分からない。

現代の組織社会では、このような状況に置かれている人間は数多いのだろう。
その数多い人間の進む方向も千差万別であろう。
自分自身の身の処し方も興味津々である。


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