一昨日のA日新聞の「ひと」欄はこのお方だった。
知る人ぞ知るお笑い芸人のタブレット純さん46歳である。テレビにはほとんど出ずもっぱらラジオにフィールドを置いているはずなので、知らない方が多いかもしれない。
僕がこの人の存在を知ったのは7〜8年前に仕出し弁当配達のアルバイトでの車中で聴いたラジオでのことだ。ニッポン放送のうえちゃんの番組のコーナーにこの人が一時期頻繁に登場していた。
おかしな歌を作っては歌っていてそれが面白かった。「♪のり弁のおかずの白身魚フライの魚の本当の名前はメルル〜サ!名前を知ると食欲が落ちる〜♪」などという歌を流暢ながら妙ちきりんな声色で歌うものだからとても面白かったのであった。
今般紙面に出たのはご自身の嗜好によるもので、昭和のムード歌謡の研究に熱心であり、そのことで注目を集めつつあるというのである。ご自身過日「和田弘とマヒナスターズ」の晩年のメンバーに属していたというからして筋金入りなのであろう。
たいへん失礼ながら本業がさほど忙しくないと自身のための時間を割くことができたりするので、それがこのムード歌謡の研究でありそれが嵩じて身の支えになっているということであろう。僕はそういう生き方こそけっこうカッコいいなあと思う。
なにしろ純さんがご健在なのがちと嬉しかった。どうぞご活躍を♡。
先週のNHKEテレの「スウィッチインタビュー」がこのお二人で面白かったと昨日の日記で予告した。
服飾デザイナーでアーティストの篠原ともえちゃんと古今随一の噺家春風亭一之輔師匠まだ42歳である。ともえちゃんはたしか41歳だったと思う。おふたりともまあお若い。このふたりを招いての今回の対談のサブタイトルがこうだった。
「夢を育んだ若き日々よ」
おふたりとも若き日に自身の行きたい道を思い描き、そのための研鑽努力をしていたことを知り、おおご両人ごりっぱえらいそしてうらやましいとつくづく思った。
当時シノラーと呼ばれていた頃のともえちゃん。
この時すでに自身の衣装をご自分でデザインされていたというから驚いた。彼女テレビで引っ張りだこだった時にありながら実は服飾デザインの専門学校に入学しており、仕事の合間にファッションデザインの勉強に鋭意取り組んでいたというからそれにも驚いた。その時から将来はアイドルからデザインの仕事にシフトしようと狙いを定めていたというのである。
一方一之輔師匠はというと図書館から借りてきた落語のテープを聴き入ってはそれに倣って落語を独学していたというからその時から人生これ落語だったという。聴衆に級友ひとりに懇願して無理やり落語を聞かせていたというからおかしい。その級友は漫画本を読み耽りながら若き一之輔師匠の落語を聴いていたというからいかにももったいないことであったろう。
背景は新宿末広亭である。僕惜しむらくも学生時代にこの寄席には足を運んでおらず惜しいことをした。
ともえちゃんの転機はこちらにあったという。
ラジオ番組で懇意になったユーミンのご主人の松任谷正隆さんからの依頼でなんとユーミンのステージの衣装デザインを担当したというのである。市松模様のドレスなど一見無機質ながら有機的でありなんともすごいと感じた。翌年はなんとコンペで同業の有名人を出し抜いて再度ユーミンの舞台衣装を担当したというから彼女実力派なのである。
そのともえちゃんのひと言がこうだった。
「作品のカケラでうれしい」。
ユーミンのステージの一助となれたことに大いに喜びを得て、その感情であろうか感覚であろうかそれを意識した時にああ自分はこの世界で生きていけると発想を得たのだそうだ。
一方の一之輔師匠でも名言を得た。
「お客さんのご機嫌をうかがうんじゃなく、自分がごきげんになる方がお客さんが喜ぶ」。
「最終的に俺がしゃべったことが全部落語だって状況が一番いい」。
これぞ「すべては落語のため」なのでありすごいと思った。
おふたりともいい顔してます。今後のお二方にはますます目が離せません。楽しみです。
こちらにも注目。昨年まで大リーガーであった田中将大投手だ。
所属していたヤンキースとの7年契約を終えて帰国し、楽天に返り咲くのだそうだ。大リーグでの通算成績は78勝46敗。防御率3.74.まだまだ国内でやれると思うので今年は楽天に注目したいと思います。
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