mixiユーザー(id:65133463)

2021年01月28日07:43

19 view

なぜ、日本の政治家はバカばかりで、あなたの妻の性格は悪いのか?

独演会中止。まだまだ続く、受難のとき
またもや発出された「緊急事態宣言」であります。

「20時以降の飲食は控える」ということで、私の職種は飲食関係ではありませんが、あおりを食らうというか、一般のお客さまの心模様として「夜中に外出する」というムードにはならず、来客の増加も見込めない可能性が高くなり、1月13日に予定しておりました「第15回立川談慶国立演芸場独演会」は中止とさせていただきました。

まだまだ落語家受難の時期であります。

何がしたい? 不安をあおるだけのマスコミ報道
さて。

前回の時とは違って今回は緩やかな措置が多い緊急事態宣言でありますが、どうにも解せないのがマスコミ各社の報道です。

前回ほど厳しくないのですから、前回より人出は多くなるのは当然で子どもでも想像できるはずなのに、「以前に比べたら人出が増えている」→「気の緩み」という結論を導き出そうという姿勢にとても違和感を覚えています。

これで、逆に人出が少なくなったとしたら、今度は飲食店関係者に「景気はますます悪くなる」という答えありきのインタビューでもするのでしょう。一体何をどうしたいのかと、首をかしげたくなるものですなあ。どちらに転んでも「不安」をあおるだけのような気がします。

ニュースにショックを受ける女性写真=iStock.com/PhotoTalk
※写真はイメージです
そもそも「人出が多い=気が緩んでいる」という考え方はとても短絡的ではないでしょうか。夜の繁華街や休日の行楽地に向かう人の中には、遊ぶのではなく働くためにコロナ対策を万全にして向かう人だっているはずです。エッセンシャルワーカーを含めてリモート化できない職種の人たちのことを思い浮かべてみるべきです。

テレビ番組で、「ターミナル駅に向かう人の流れの映像」を流した後に、「気が緩んでいる」という発言をしたコメンテーターさんがいましたが、ご自身を乗せて自宅と局とを往復するタクシーの運転手さんも、その中の一人なのかもしれないと思うべきではないでしょうか。

兎にも角にも、新型コロナウイルスは確かに肉体的に怖い疫病ではありますが、精神的にも、かような形で社会を分断させてしまっているという意味においては非常に厄介な存在であります。
コロナ禍に思い出す、長門裕之さんの言葉
ワクチンや特効薬がまだまだ先の話になりそうなこのコロナ禍、この長期戦、はてさてわれわれは一体どうしたらよいのかなあと思っていた時に、10年以上前の話ですが、長門裕之さんから賜った言葉を思い出しました。

脚本家の安井国穂さんからのご指名で「検察審査会」というTBSの2時間ドラマに出演させていただきました。落語家の役で「そのまんま演じてください」とのことでしたが、私以外は、町内会の老人役の長門裕之さんをはじめ、主演で主婦役の高島礼子さんや、派遣社員役の雛形あきこさん、医者役の寺田農さんら一流の役者さんたちでした。みなさん、与えられた役に完全になりきっていて、当たり前かもしれませんがそのすごさを垣間見たものでした。

撮影は一週間にも及びましたが、長時間一緒にいると仲間意識も芽生えてくるものです。高島さんはじめたくさんの差し入れなどもあり、合間の食事も充実していたせいか和気あいあいとなった楽しい現場でした(またぜひ経験させていただきたいものです)。空き時間などにはいろんな方々と結構プライベートな話もさせていただくようにもなり、たまたま長門裕之さんと控室で二人きりになりました。

ちょうど真打ち昇進の準備期間だったせいか、さほど深刻ではありませんでしたが、カミさんと何かと衝突していた頃だったので、長門さんにズバリ聞いてみたのです。

「長門さん、夫婦円満の秘訣をお教えください!」

おしどり夫婦と評判の長門さんにお知恵を拝借しようとすがるようにして質問したのですが、

「談慶君、君は、自分の奥さんを嫌な女だと思う時があるかね?」
「いつもです!」

日頃の鬱憤うっぷんを聞いてもらおうとして言い放ちました。

すると、長門さんはにっこり笑って、「そうかい、いやそれはね、君が嫌な男なんだよ」。一瞬、意味がわかりませんでした。

まるで禅問答です。

「奥さんが嫌な女の時は、君が嫌な男」
「どういうことでしょうか?」


「いいかい、奥さんを鏡だと思いなさい。奥さんがいい女の時は君がいい男なんだ。反対に嫌な女の時は、君が嫌な男なんだ」

不機嫌そうな若い夫婦写真=iStock.com/itakayuki
※写真はイメージです
ズシンと響きました。

なるほど、そういう見方があるのかと、さすが一流の表現者はわかりやすい言葉で一流の言い回しをするものだなあと感じたものです。

朝起きて、寝癖を直そうと鏡を見た時に、「ああ、髪の毛整えなきゃ」とまず自分の髪の毛を直そうとするのは当たり前のことです。

あの時の自分は、鏡の方に手を伸ばして、「鏡に映った自分の髪の毛」を直そうとしていたのではないかと、わが身に置き換えて反省したものです。

以後、まず自分に「カミさんは鏡に映った自分なのだ」と、チェックの目を働かせて気を配るようになりました。そのせいか、徐々に仲も良くなってゆき、いつの間にやら問題点は消えてしまっていました。

おかげさまで、近頃では自分が悪くなくても謝るように努めてきているせいか(笑)、円満そのものではあります。

社会に怒っている人は自分に怒っている
さて、いい話ですが、また飛躍させてみます。

ここまでは、対象は「カミさん」でしたが、これを「社会全般」に置き換えてましょう。

もしかしたら、「嫌な世の中だよな」と思う時は、自分が嫌な奴なのかもしれません。「ああ、やっぱりいい世の中だなあ」と思える時は、自分がいい奴なのではないか、と。

ここで、ご紹介したい落語が、「松山鏡」という噺です。

あらすじは——越後の松山村で、親思いの正助という男に親孝行のご褒美を渡すことになった。が、元来欲のない正助は田地田畑より「死んだ父親に会いたい」とお役人に答える。お上は正助が死んだ父親に瓜二つということから、鏡を下げ渡すことにした。その村では、誰も鏡というものを見たことはなかったのだ。桐の箱に入った鏡を見つめると正助は写った自分を父親と思い込み、朝晩納屋に隠して見つめるのが日課となる。これを怪しんだのが正助の女房。「何か納屋の中に隠しているものがあるに違いない」と正助の留守に納屋に入って桐の箱を開けてみて驚いた。「こんなところに女を隠していたのか」と。女房も鏡を見たことがなかったことで大げんかになる。これに仲裁に入ったのが近所の尼寺の尼さん。「私が話をつけて来る」といって、納屋に入り、桐の箱を開けて驚き、そして笑う。「心配ないよ、中の女は反省して坊主になっている」。

「鏡のない村」の無知というか、無邪気さを笑う落語ではありますが、この噺は、「案外人間自分のことは自分ではわからないものだよ。誰もが自分は見えていないよ」、そして、「相手を見ているつもりで、実は自分を見て怒ったり、納得したりしているんだよ」という深いことを訴えているのではと、読み解けないでしょうか。

いい社会にする秘訣は自分を変えること
「自分の周囲をいったん鏡だとしてみる」という具合に敷衍ふえんさせると、そこに浮かび上がってくるのは攻撃材料ではなく反省材料のような気がします。

たとえば、ランチに入ったお店などで「ムカつく店員さん」に遭遇したら、「ああ、自分がもしかしたらその前にムカつかせるような言動をしていたのかも」と一瞬思ってみることで柔らかく受け止められるような気がしませんでしょうか。無論相手が完全に悪い場合もありますが、そういう場合にしても「自分の悪い部分が見えたのかも」と思うことで幾分気持ちは安らぐはずです。他人が「鏡に映った自分」ならば変えようはありませんもの。変えるべきは自分なのです。

立川談慶『安政五年、江戸パンデミック。 江戸っ子流コロナ撃退法』(エムオン・エンタテインメント)
立川談慶『安政五年、江戸パンデミック。 江戸っ子流コロナ撃退法』(エムオン・エンタテインメント)
談志はよく落語のマクラで、「政治家なんて大したのが出て来ないのは当たり前だよ」といい、周囲を見渡して「よくご覧。この中から出て来るんだよ」と言っていたものでした。

周囲を見て「大した人はいない」と思うのなら、「自分が大した人」ではないと思うべきなのでしょう。

こんな具合に「自分の周囲は鏡に映った自分」だと思うような訓練をコツコツ積み重ねてゆけば、今よりいい社会ができそうな感じがしませんか?

手始めに、ご自身の奥さまを鏡だと思ってみましょう。ご自身が変わるキッカケがそこにきっとあるはずです。



https://president.jp/articles/-/42713
9 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する