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2021年01月17日20:08

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献血前後に被災地を歩いてみた

今日は日曜日なので、例年通り追悼行事ができていたら、さぞ、多くの人が集まったことだろう。コロナ禍での縮小は残念だけど、それでも、あの震災を実際に体験した人たちにとっては、何年経っても忘れられないのが1月17日である。

■阪神・淡路大震災から26年 追悼行事、多くは縮小
(朝日新聞デジタル - 01月17日 06:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6379489

昨日の日記で書いたとおり、今日は献血に行って来て、その前後に神戸の街を歩いてみた。献血前には、東遊園地に寄った。9時半ぐらいで、震災の時間からは結構時間が経っていたけど、確かに、人は少なかったけど、テレビ局のらしい車はいっぱい止まっていた。募金箱には、千円札がたくさん入っていて、私も、昨日のパチでの儲けもあって、英世様をおひとり投入しておいた(^_^;

献血後は、長田区に向かい、以前住んでいた辺りを歩いてみた。まさしく被災地の真っ只中の地域だったが、住んでいた家は、昭和45年前後に建った木造だけど全壊はせず、壁のひびを修理した程度で、今も人が住んでいるようだ。近所にはそんな感じの住宅が散見され、火災が発生しなかったのが幸いしたのだろう。

ただ、火災が発生した地域では軒並み住宅が焼け落ち、今では区画整理で、震災以前の面影はなくなっている。震災の2日後には、地下鉄で板宿駅までは行けるようになったので、そこから歩いて兵庫県庁に向かって歩いた。すると、所々で空襲にでもあったかのようになっており、まだ火が残っている所もあった。

そんな地域に、叔母が住んでおり、途中で立ち寄って水とかを届けた。家の中はぐちゃぐちゃになってはいたが、鉄筋コンクリート造の家だったので倒壊を免れ、火災にも遭わなかったのは幸いだった。ただ、隣の家はペシャンコで、住んでいた人は亡くなったそうだ。もし、家を建て替えてなかったら、叔母の一家もどうなっていたか分からない。

私個人としては、被害が大きい所に住んでいた訳ではないし、親戚や友人知人に犠牲者はいなかった。しかし、震災当日に神戸の市街地の様子は実際に見ていたので、その光景は26年経った今でも忘れられない。ましてや、家族や家を失った人たちにとっては、何年経っても心から離れないのが「1.17」なのだろう。
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