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2021年01月17日11:26

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私の阪神淡路大震災

■阪神・淡路大震災から26年 追悼行事、多くは縮小
(朝日新聞デジタル - 01月17日 06:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6379489


「もうダメですexclamation ×2
「止めてくださいexclamation ×2

瓦礫をどけていた私を羽交い締めにする奴が居た。

「アホか!まだ生きてるんやexclamation

「もう無理ですexclamation
「離れてくださいexclamation ×2

「なんでやexclamation ×2
「声が聞こえてるやろexclamation ×2

緊迫していた。
しかし、羽交い締めにしていた彼の力は凄かった。


私は彼の顔をそこで初めて見た。
真っ黒にすすだらけになりながら泣いていた。

そうです、火がそこまで来ていたんです。
二次災害を防ぐため、必死で止めてくれたんです。

私は力が抜けてしまった。
助けられなかった。
最期の声を聞いてしまった。
死ぬまで耳から離れないだろう。

情けなさと悔しさしか残らなかった。
自分の無力をここまで感じたことは今までなかった。

ただ、私より辛い想いをしたのは私を羽交い締めにしていた消防士だったに違いないexclamation
私を止めながら涙していた彼を忘れられない。

あの時、その場にいた全員が言葉を無くした。
号泣した人も居た。
黙って唇を噛んだ人も居た。

26年たった今でも、思い出すとぼろぼろに泣けるんです。
この日記を書きながら涙が止まりません。
年をとったからでしょうか・・・。


それから3ヶ月後の事です。
仕事で訪問したお家のご主人が、元神戸市消防局の職員さんだったんです。
内庭に面した廊下で、じっと一点を見詰めたまま動かないご主人を見てしまったんです。
奥さんと話していたのですが、気付いた私に奥さんが話してくれました。
「主人は元消防士なんです。でも、あの震災で心が壊れてしまったようで・・・。」
奥さんは言葉をつまらせ泣いていました。

その時、私の体験した話をさせていただきました。
あの時止めてもらわなければ私も火に包まれていたかもしれないこと。
一番悔しかったのは消防士達だったこと。
彼らがどれ程辛い想いをしていたか。

後日、ご家族で奥さんのご実家に引っ越しをされました。

あれから26年経つんですね。
あのご主人は元気になれただろうか?
あの奥さんならきっと幸せを取り戻せただろうと思う。

今でも、声が聞こえる。
なにも出来なかった自分が情けなくて、毎年この日になると悔しさのあまりに泣けてくる。

今日だけ、ドクターから言われてる酒の量が守れない。
1年の内の経った一日だけ、昔のような酒飲みに変身する日なんです。

先日、母の葬儀の日に姪から私の心臓の事を訊かれました。
エコー検査で出た数値をそのまま教えました。
姪は、とある消防局の救急救命士です。
彼女はこんなこと言ってました。
「えっ!その数値で普通にしていられるなんて・・・おじさん凄いよ。」って言ってました。

私はあの時見ず知らずの女性だったけど、助けられず最期の声を聞いたんです。
あの声は、生きたいと言っていたと思うんです。
あの声を聞いた責任と言うか・・・私は最期まで全力で生きる事があの女性に対する償いかも知れないと思うようになったんです。

震災、それは戦争のような悲惨さを見せつけていました。
高速道路は倒れ、ビルやマンションもぐしゃぐしゃに。
勿論、戸建や長屋は見る影もない。
街全体が火の海に・・・・

もう死ぬまで体験したくない。
精神がもたなくなる。
だから、平和を願うんです。
普通に居られることが、幸せであること。

穏やかに逝きたい。
それが願いなのかもしれない。
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