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2021年01月12日19:13

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ギリギリ日記12「駿河堪忍」

静岡新聞「マスコミやめる」宣言 新聞・テレビも「一人一人と向き合う」
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=32&from=diary&id=6373960

「SBS(静岡放送)はSNSがやりたいってこと?」
「ちがうんです、さりげなくSOSを出してるんです(涙)」

そりゃそうだろう、SNSを正しく利用している人だけがいるわけではない。いびつに偏った個人が好き勝手に受発信できるTwitterやFacebookがどんな惨状を呈しているかは先日のトランプ騒動を見るまでもなく新聞社や放送局なら十分わかっているはずだ。

宣言を出すのなら「マスコミをやめる」宣言ではなくて「いい加減でくだらないだけのマスコミはやめる」宣言でなければならない。目指さなくてはいけないのは良質な衆智を集めた有用な公共財として生き残るための体質改善だ。

今の時代のように妄想や思い込みなどのディスインフォメーションを個人が好き勝手に垂れ流すのはけっして社会のためにならない。個人や個性は尊重されなければならないが個人が自由に好き勝手なことを言うことで個人の自主性や独立性が担保されるわけではない。人間は愚かで間違いやすいという欠点を持っている。嘘を真実として誤認しやすいし、余計なお世話を親切と誤解しやすい頭や心の弱さがある。

個人や個性をきっちりと際立たせるためには良識や常識という非個性的で非個人的な視線や視点が必ず必要だ。個人の自主や独立を守り、社会における自由や平等を守るのは決してSNSで垂れ流されるような個人的信条や個人的感情や個人的主義主張によってではない。マスコミという無個性(ゆがみのない正当性)とでも呼ぶべき公共財が存在するのは偏りやすい個人の視線をフラットでゆがみのない視線で引き受けるためだ。だからこそ個人はいくばくかの対価を払って新聞を定期購読しテレビ局とスポンサーと許認可権のある政府と一般視聴者との安定的な関係に目配りをするのだ。

新聞社には多くの記者がいてカメラマンがいてデスクがいて校正係がいて掲載を決める上司がいる。個人がたくさん寄り集まってそれぞれの個性をよりクリアーにフラットに削ったり磨いたりして一本の記事を仕上げる。その正当性や透明性はそういう非個性化という作業からのみ生まれるものである。

くれぐれも念を押しておくがマスコミがマスゴミになってはいけない。SNSなどの浮ついた認識や議論の世界に身を置くべきではない。マスコミが目指さなければならないのは人や社会をより良く導くための視点や主張を生み出すことだ。経営の問題でそれができていないのであれば体質強化をはかるべきだし、許認可権をちらつかせられて言論や表現が委縮しているのであれば制度改革に取り組むべきである。一番大切な一般大衆からの支持や共感が得られていないというのであればそれこそ矜持と自覚をもって良質な紙面や番組作りに心血を注ぐべきだろう。SNSからの攻撃に立ち向かうためにはどうすればいいのかの答えはそれぞれの社員とトップの覚悟の上に導かれるものだから。

今朝は雪が舞っていた。この前に続いて今年二度目だ。さすがに一番寒い時期だけのことはある。しばらくして霙に変わり昼頃には止んだ。
昼過ぎの家の庭の風景
フォト

半時間ほど山奥ではご覧のような雪景色。同じ町内でも場所によってだいぶ違う。
フォト


今日は民生委員の月例会で会場までは出かけたが咳が出たりして体調がよくなかったので
会費と報告書だけ課長に手渡して欠席にさせてもらった
水道料金の引き落とし書類をJAで処理。今度からは手数料が必要になるそうだ。ついでに阿南まで足を伸ばして図書館に返本、妹の家に娘から送ってきた服の段ボール一箱分も届けた。
帰りに安売りデュオで食料品の買い出し。昼過ぎから水道料金の明細書を各戸に配っていく。終わってからカレーを作って食べた。惣菜で買ってきた焼き鳥にはびっくりした。竹串に刺さってるのは捨てるような皮と脂だけ。肉らしい身はひとかけらもない。いくら安いから仕方ないといってもこれはあかんやろというレベル。もう焼き鳥だけは買うまい。



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