mixiユーザー(id:2116084)

2021年01月10日18:39

173 view

寒い冬の夜には八神純子を♪

年明けて10日たっても関東南部は寒く空気も乾燥してます。

こんな寒い冬の夜にオリビアニュートンジョンと共に歌声を聴きたくなるのが

八神純子


1978年の1月に「思い出は美しすぎて」でデビュー
(これ以前にヤマハのポプコンで優勝して2枚のシングルを出してる)

私が中学二年の2月か3月頃「コッキーポップ」という番組で司会の大石悟郎氏が
「今度デビューした八神純子さんです」と紹介してこの曲が流れたのを覚えてる。



https://www.youtube.com/watch?v=s730CBRq48Q
(この動画がその時のものかは不明)

イントロのサンタナ風のギターに魅入られてたら透明感あふれる高音の歌声に魅入られてしまった。

曲としては3分ちょっと、1コーラスとサビを繰り返してるだけなのにそのインパクトは強烈に響いた


次のシングル「さよならの言葉」は曲は良かったがあまり売れず

3枚目のシングル「みずいろの雨」でブレイク

その次のシングル「想い出のスクリーン」


https://www.youtube.com/watch?v=nEQ8CWBypLc


この曲は私の音楽人生を変えたと言っても過言ではない。

と言うのはこの曲が「ザ ベストテン」とかで流れてた1979年の3月から4月は
私が中学生を卒業して高校生になった頃で
バンドをやりたくて軽音部に行って、自己紹介で「好きな音楽はディープパープルとビートルズ」と言ったら先輩から
「お前ら歌謡曲ができなきゃダメなんだよ」と言われた。

直後に音楽室で軽音部で学内ライブがあって3年生の先輩のバンドがこの曲を完璧に演奏してるのを見て、歌謡曲を弾けなきゃ一人前とは言えないと実感した。

この曲の凄いところのひとつに、1コーラス終わって中イントロで後藤次利のベースがメチャクチャはねてるところ

ちなみにその先輩のバンドのベースの方もこれを完コピしてた。

この頃私はベースを触り始めたが時代はチョッパーが流行りだした頃で
こんなの弾けねえとトラウマになってしまいこれは未だに引きずっている


貴重音源を色々発見

・その1979年3月のFM放送のスタジオライブ
https://www.youtube.com/watch?v=5iQH3tUPGB4&t=268s

・1982年、「夢見る頃がすぎても」の頃のツアーのライブ
その1
https://www.youtube.com/watch?v=-l-Dv5CzsyQ

その2
https://www.youtube.com/watch?v=YN-jcDEoprM

その3
https://www.youtube.com/watch?v=Ww1mmqSkufM

若干音はこもってるがオフィシャルの「Junko The Live」よりも演奏の音がしっかり出てるのが良い


「パープルタウン」のヒットでイメージや方向性は変わっていくが
歌唱力は健在なのでこれはこれで良い

貴重映像〜1983年「ナイトスクエア」という番組


https://www.youtube.com/watch?v=TpTvMPXlV14&t=293s


バックダンサーとかいかにも昭和の音楽番組という雰囲気だが
最近のJポップとかにないゴージャスな雰囲気が歌声に合ってると思う。


実は本日(10日)新中野の「弁天」に八神純子のトリビュートバンド「すえひろがり」のライブの予定だったが
緊急事態宣言が発令されるということで年明け早々に中止が決定

ライブがなくなったのは残念だけど、家で八神純子を検索してたら色々でてきて

あらためてその魅力を再認識できた。


春にはある程度は収束するという希望を持って曲を聴いてます。

42 18

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する