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2021年01月06日05:33

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トウキョウセクシャルノースサイド

惜しむらくもこちらの訃報から。

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「日本一の斬られ役」で十数年前から注目を集めるようになった元大部屋俳優の福本清三さんがお亡くなりになったとあり、残念に思った。
僕が福本さんを知ったのはもう20年ほど前になろうか。文庫本「どこかで誰かが見ていてくれる」を読んでこんなすごい男がいたのかと驚嘆させられたのであった。

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当時でもって時代劇の斬られ役として斬られた数がなんと2万回とあったが、その後名前を知られるようになってさえなお斬られ役を粛々と努めて生涯の斬られ役はなんと5万回というから最後まで自身の本分と矜持を悟っての営為でありただただご立派としか言いようがない。

自身を決して役者や俳優とは呼ばず所属した東映の「社員」とわきまえ、ただただ現場の要望に最善を尽くしてたゆまず卓越した技術で臨んできた福本さん。享年77歳。まこと見事な生き様そして劇中の「死にざま」でした。心してご冥福をお祈りします。

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福本さん。あなたは死してなおかっこいいです♡。

このところ時おり次女ともみが荒れて僕をぶっ叩いてくる。先日はマリオカートのゲームを一緒にやっていたところ、うっかり僕が彼女に勝ってしまったのに彼女が腹を立てて僕の胸にコントローラーを投げつけてきたのには驚いたし瞬間ムカッときた。家内がそれ見てともみに激怒しあぶないことするなパパにあやまれ!としたところ彼女はぎゃん泣きしてしまった。姉が長きに留守なことでやはり寂しいのであろう。強く抱きしめたら泣き止んだ。

まったくちょっと暴君化しているもののこれも仕方ないことである。わが家は愛娘めぐちゃんの不在でみながちと疲れているのだ。我慢、がまんである。
暴君で思い出したのが学生時代のOBだったTさんだ。昨年一昨年と日記の「春の暴君」シリーズでおなじみの人である。彼の無理難題に泣かされたものであったが、先日思い出したことはいまでもおかしくて腹の底がよじれるものであった。

その暴君Tさんがある日部室に遊びに来た日のことである。いつものように僕ら現役の支部会1、2年生の学生たちに無理難題を強いてはそうされた僕らの混乱を見て喜んでいた。その日のお題の中にピンクフロイドやキングクリムゾンといったプログレロックが大好きなTさんは僕らにいきなりこう振ってきた。

「いいかお前ら!人生はロックである!ただいまから4ビートでお前ら歌え!俺様が『1、2、3、4!』と言ったら思い切り歌い出すのだ〜!!!!!」

まあ激しい曲を歌い出して狂いだせという指令であることは明らかだった。そこで皆はデタラメな激しい歌を歌わされてはTさんの笑いものにされたのであった。そうして順番はおなじみ狂人のKさんに回ってきた。

T「よし!K!いくぞ!1,2,3,4!」!

となった瞬間にキ〇ガイのKさんが歌い出したのはこうだった。

K「♪は〜る〜こ〜ろ〜の〜は〜な〜の〜え〜ん〜♪」。

滝廉太郎の「荒城の月」なのであった。さすがキ〇ガイと瞬時僕らは思ったものの、これではTさんの逆鱗に触れるのではと恐れをなした。案の定、Tさんはムッとしながらkさんにこう訊き返したのであった。

T「K!きさまはいまいったい何を考えているのであるか?!」。

すると狂人は臆さずこう返したのであった。

K「はい。赤羽のピンサロで世話になった女のことを考えておりました」。

あ〜あ。言っちまったよこの人(-_-;)。と思いつつTさんの暴走が始まると思いきやTさんそれ聞いてだははははははははははははと大笑いした挙句、K!その女はいったいどんなおんなだったのだ?と訊き返す始末であり、それに対してKさんもまた臆面もなくこう答えた。

K「自称28歳推定47歳の壊れたベティ・ブープのような女でした」。

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ぎゃはははははははははははははははは!こ、こわれたベティ・ブープ!なんじゃそりゃと思いつつTさんも僕ら現役生もみなで大爆笑させられたものだった。その笑いになおも臆さずKさんはこう続けた。

K「ですが年の功だけあってテクニックは最高でした♡」。

どわははははははははははははははは!やっぱKさん、あんたは狂人の鑑だよ!
とKさんでもって皆でひと笑いさせられたところで4ビートのリクエストが今度はKさんの同期のプチ変人のHさんに及んだ。Tさんの1、2、3、4!の掛け声に続いてHさんが歌ったのはこうだった。

H「♪と〜も〜だ〜ちがで〜き〜た〜。スイカの名産地〜♪」。

これにもまたTさん反応してH!そのこころはなんだ?!と問うたところ、Hさんはこう答えたのであった。

H「はい。赤羽のピンサロでうつされた性病について考えていました」。

おいおいおいおいおい(-_-;)。あんたらそろいもそろって頭のなか赤羽のピンサロのことばかりかよとTさん含め僕らは呆れたものだった。確かにHさんは一時期スカイブルーの色したカプセル剤を服用していた。あれはペニシリンかなにかの抗生物質だったのであろう。Hさん良薬口ににがしとかいいながら服んでいたな。カプセルなのにな(-_-;)。

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とまあそんなことを思い出した。もう35年も前のことである。TさんKさんそしてHさん。みなさんどうしているかな。
今朝は録画していた「男はつらいよ」の39作目の「寅次郎物語」を観てまた泣かされた。

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母親さがしの旅を共にした坊やとの別れのシーンだ。僕はこのシーンこそ寅さんシリーズの名場面の中でも三指に入る傑作シーンだと思っている。詳しくは同作をどうぞ。ほんと、何度観ても泣かされるのよここで(´;ω;`)ウゥゥ。
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