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2021年01月03日06:48

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「決められる政治」がたどり着いた「決めない政治」

■政府に緊急事態宣言を要請=感染拡大で首都圏4知事―西村担当相「厳しい認識共有」
(時事通信社 - 01月02日 16:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6364375

それにしても「ブレーキとアクセルを同時に踏むこともある」はパワーワードだ。かねがねこの首相はバカなんじゃないかと思っていたが、やはり矛盾を矛盾と感じないらしい。論理を理解できないから、自然災害対応みたいにロジカルな対応こそが有効な場面では、決定的に弱い。

追従と忖度を期待して得手勝手な決断をすることに慣らされた政治家が、ウイルスのような追従と忖度どちらも期待できない相手と向き合ったらいかに弱いかよく分かる。今の菅政権の醜態は、ひと頃もてはやされた「決められる政治」の弱点を見事に体現している。

結局、「決められる政治」というのは決定者・決断者の判断力頼みであって、決定の正しさや妥当性を一切担保しない。菅総理のような非論理的で没交渉な劣化人材が決断者の地位に立った時は、ある意味最悪だ。迅速にかつ正確に「間違う」。

「議論を通じた熟慮」を「決められない政治」とレッテル貼りして放棄したことで、政治の劣化が始まったと言える。悪名高い内閣人事局もそういう流れの中で生まれた組織だ。

確かに熟慮の政治、熟議の政治というのは時間を要する。緊急時に慌てて対応するには不向きだ。だからこそ平時において、想像力を巡らせて「慌てて対応」が必要ないように熟議しておくべきなのである。

ところが安倍政権下では、森友だの加計だの様々な問題が政権の手で引き起こされ、本来熟議しておくべきことがさっぱり熟議できなかった。しかもそれがどういうわけか「野党がだらしないから」と、野党の責任に転嫁される始末だ。普通に考えて問題を引き起こして審議が乱れるなら、それは問題を引き起こした側に責任がある。安倍政権下ではそういう「普通に考えて」が全く機能しなかった。恐るべきことだ。

これは「決められる政治」を希求した結果、「決めない政治」に到達するという歴史の皮肉である。「決めない政治」とは、すなわち「決めないことを決められる政治」である。安倍政権は自分たちへの利益誘導に関しては、熱心に決めてきた。他方で熟議を要する論点、私的利益につながらない論点に関しては、ほったらかすことで消極的に「決めないこと」を選択してきた。

安倍政権下で進んだ「決めない政治」は、官僚たちの追従と忖度を誘導し、その快適さにおぼれた政治家はウイルスのような追従と忖度どちらも期待できない相手を前にして拱手傍観するよりほかなくなってしまった。

しかし考えてみれば、自民党が大好きな国防分野は、「追従と忖度どちらも期待できない相手」への対応を本質とする分野だ。論理を駆使できない菅政権は国防上極めて危ういのではないか。

私はかねがね日本の右派がどうして安倍政権や菅政権を支持しうるのか不思議に思ってきた。

彼らは畏れ多くも天皇陛下が国事行為として招集する国会において、100回以上の嘘をつき、国会審議を妨げた徒党である。安保法制も大方の法律家が違憲判断を下す代物だ。国防上、重要な意味を持つ安保法制をかくも法的に不安定な法制としてゆがめてしまう行為は、どう見ても反日的だ。反社会的勢力の定義はないとか、虚偽答弁の定義はないとか、自分たちの都合に合わせて日本語の定義を変えてしまう態度のどこに日本語への尊崇があるだろうか。

日本右翼が安倍・菅路線に怒りをもって応えないのは思想的背信である。
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