夜明け前に、窓の外からやたらとディーゼルエンジンの音がするから、覗いてみたら、除雪作業をしている音だった。
折角なので、今日の予定覗いて確認をせねばならない。
JR東日本のサイトで運行状況を確認してみる。
当初の予定では、花輪線から山田線、釜石線経由で仙台へ行くつもりだった。
しかし、花輪線は夕方まで運休。
ならば、と思い津軽線や大湊線を経由して仙台へ向かうのはどうかと考えたが、津軽線も大湊線も運休。
それなら北三陸とばかりに八戸線はどうだろうかと調べてみたら、正常に運転している。
それならば、青森から八戸線、三陸鉄道、山田線を経由して仙台を目指す事にした。
五能線も調べてみたら、能代-深浦が9時頃まで運転見合せと出ていた。
チェックアウトする時に、ホテルのパンフレットコーナーを見ていたら、偕行社のパンフレットがあった。
弘前にも偕行社が残っていたのか。
正月だから閉まっているだろうが、外見だけでも見ておけば良かった。
後ろ髪引かれる思いで、弘前駅へと向かう。
また、弘前に来なければならない。
とは云え、今回の弘前訪問は23年振り。
次に来るのは何時になる事やら。
朝は弘前駅「そば処こぎん」で天麩羅そばを頂く。
天カスを固めただけのかき揚げの乗った天麩羅そば。
これこそが駅そばだ。
8時4分の青森行きに乗るべく改札に行ったら、「リゾートしらかみ2号」の乗車案内が出ていた。
不思議に思いながら、青森行きに乗車。
川部で五能線から来たキハ48が首都圏色。
折角なので撮り鉄して、「リゾートしらかみ」の運行状況を聞いてみたら、運休列車には入っていないと云う。
果たして、五能線は動くのか否か。
ならばと思い、キハ48の弘前行きに乗車。
弘前に戻る。
弘前駅で「リゾートしらかみ2号」4号車6番A席が取れた。
3番ホームで待っていたら、3分程遅れていると云う。
ほどなくしてHB-E300系「リゾートしらかみ」が入線して来た。
8時50分、発車する。
「リゾートしらかみ」には、この様なセミコンパートの座席もある。
完全にフラットにもなる。
更に、先頭と最後尾にはこの様な展望室もある。
至れり尽くせりな車輛で、快速の普通車指定席とは思えない。
弘前でスイッチバックして川部へ。
ここでまたスイッチバックして五能線に入る。
五所川原でかなり下車した。
津軽鉄道のストーブ列車と接続しているからだろう。
五所川原を出て、岩木川を渡る。
ここからは23年振りの旅。
五所川原の次は木造。
遮光器土偶の駅舎で有名な駅である。
津軽三味線の生演奏が始まる。
越水を過ぎると、雪が深くなって来る。
今まで平野だったのが、ちょっとした山を越えるからだろう。
エンジンが唸りを上げる。
そして、下り勾配になり嘘のように静かになる。
鳴沢の集落を抜け、日本海に出る。
ここから能代の出ましたまで、日本海に沿って走る。
鰺ヶ沢到着。
23年前に乗車した時にはダイヤの都合でかなり停車したから、町を散策した。
つげ義春「リアリズムの宿」の舞台であり、今で云う聖地である。
実写映画もこの鰺ヶ沢の地で撮影されたそうだ。
鰺ヶ沢を出て、ちょっとした半島の付け根を縦断して、日本海を見下ろす。
鉛色の空の下、日本海の波は荒い。
あの日の日本海も、こんなだっただろうか。
山側からは、日が差して来た。
北金ヶ沢で運転停車。
首都圏色のキハ48を先頭に、弘前行きが停車をしていた。
まさかこんな所で交換するとは思っておらず、油断した。
ちゃんと調べておけば、展望席で望遠で狙ったのだが。
次の千畳敷は単線の無人駅だが、15分停車する。
駅前すぐに、千畳敷海岸があるので、散策出来る様にとの配慮である。
発車3分前に汽笛を鳴らすと案内があり、乗客が海岸へ向かう。
寛政4年(1972年)の地震で隆起したと伝えられる海岸段丘面で、物珍しがった津軽藩の殿様が、そこに千畳畳を敷かせ大宴会を開いた事が名前の由来である。
付近には奇岩が多く立ち並び、なかなか壮観である。
ついでに、ホームに停車している「リゾートしらかみ」も撮影して、車内に戻る。
丁度、発車前の汽笛が鳴り響いた。
千畳敷から先も、のんびりと日本海を眺めながら走る。
全く飽きる事が無い。
大岩に囲まれた奇岩を眺め、深浦に到着した。
深浦は、北前舟の風待ち港栄えた町である。
ここで5分停車。
「リゾートしらかみ」同士で交換する。
深浦を出て暫く行くと、黄金崎不老ふ死温泉がある、
海辺の岩場にある露天風呂が有名な秘湯で、旅番組などでも良く紹介されるが、残念ながら車窓からは見えない。
https://www.furofushi.com/hotspring/
ウェスパ椿山の手前で、無料送迎バスが出ていると案内があった。
駅前には、遊園地っぽい建物が並んでいる。
陸奥沢辺を過ぎて、湾に沿って白神山地が見える。
切り立った峰が連なり、雪を纏った姿は、何とも神々しい。
その麓に、十二湖と云う駅がある。
山から見たら十二の湖が見えると云う事で付けられた。
あくまでも複数の湖の総称であり、十二湖と云う名前の湖がある訳ではない。
しかし、十三湖と云う湖は昨日乗車した津軽鉄道の終点である津軽中里から更に先にある。
大間越を過ぎると次の岩館まで約10キロも離れている。
青森県と秋田県の県境にあたるこの区間は、白神山地が日本海へと落ち込む断崖絶壁。
五能線で一番景色が良いと云われる区間でもある。
その、一番景色の良い所を、徐行運転で通過する。
次の云われるで、弘前行きと交換する事を調べておいたから、望遠を取り付け展望席で待機する。
岩館の構内が遠くに見えて来たが、停車していたのはキハ40・48では無く、これらを駆逐するために導入されたGV-E400形気動車だった。
何と云う事か。
折角、用意周到していたのに馬鹿を見た。
全く、この手のピンポイントでの運の悪さには自分でも呆れる。
八森を過ぎると、地図の上では日本海に沿って走るが、実際は少し内陸部を走る。
長らく共に過ごした日本海ともお別れである。
凍てついた米代川を渡り能代に到着した。
ここは林業とバスケットボールの町だそうだ。
能代を出て、左手から奥羽本線が迫って来ると、東能代。
ここで数分停車するから、売店で蓴菜を購入した。
奥羽本線に入り、終点の秋田には13時27分、定刻通りの到着であった。
秋田から先、奥羽本線は横手までは運転している。
その先、肝心の北上線はと云うと横手から、ほっとゆだの間が終日運休になって仕舞った。
これで、北上線プランが完全に駄目になった。
こうなっては仕方がない。
先ずは仙台まで行き着かねばならない。
やりたくはなかったが、奥羽本線で大曲に出て、田沢湖線で盛岡に出る事にした。
行きに乗った路線で折り返さざるを得ない。
こんなプラン、乗り鉄にとっては大変な屈辱である。
こんな事なら、八戸線から三陸鉄道、山田線プランにしておくべきだった。
しかし、それはそれで後々、後悔していただろう。
時間もなかったので、13時45分発の横手行きに乗車。
車輛は701系である。
定刻に発車して、刈和野までは順調だった。
一人で何か怒りに燃えてぶつぶつ呟いている爺さんがいる以外は。
しかし、刈和野で交換する、秋田方面の「こまち」と普通列車がかなり遅れていた。
なので列車待ちをする。
次の神宮寺でも、通過待ち。
「こまち」が通過して行った。
そして東京行きの「こまち」が追い抜いて行った。
更に14時56分、「ただいまこの列車は線路内積雪により運転出来ない状況です」との放送が入った。
あと一駅で、大曲。
大曲まで行けば田沢湖線に乗り継げたのだが。
15時30分から除雪作業を行い、終わり次第の発車となるとの案内が入る。
しかし、東京行き及び秋田行きの「こまち」は通過して行った。
15時33分に「ただいま、駅係員による除雪作業を行っております、運転再開見込みは15時50分を予定しております」との放送が入る。
そうして、15時40分に作業が終わり間も無く運転再開する旨、案内がある。
また、東京行きの「こまち」が通過する。
その後、15時50分にようやく運転を再開した。
大曲には、15時57分到着。
予定では14時33分の予定だったから、1時間半近くの遅れ。
乗り継ぎ予定の14時55分、盛岡行きは既に発車していた。
次の盛岡行きは16時52分。一時間待たねばならない。
先の列車で「14時55分発の盛岡行きに乗り継ぐ予定だったお客様は大曲駅でお尋ね下さい」と云っていたから、聞いてみた。
他にももう一人、18きっぷで乗り継ぐ客がいた。
結局、盛岡まで「こまち」への便宜乗車が認められた。
流石はJR東日本である。
18きっぷのトラブルで新幹線への乗車が認められたのは今回が初めではない。
2001年の冬コミ帰りに「ムーンライトえちご」に乗車したのだが、車輛トラブルで途中打ち切りになった。
その際、浦佐から長岡、更に新潟まで上越新幹線の振替乗車が認められた。
それ以来である。
次の「こまち」は16時49分発の「こまち38号」
一時間程時間があるから、お土産屋を見たりして時間を潰す。
朝、弘前で天麩羅そばを食べてから、何も食べていないので、駅弁を買う。
16時40分頃に、新幹線改札口へ移動する。
大雪の影響で、「こまち」も12分の遅れで到着。
17号車3番A席に陣取る。
大曲で買った、秋田駅関根屋の駅弁「あきたこまち弁当」と、酒は由利本荘の地酒、齋彌酒造店「雪の茅舎」て、18きっぷ新幹線呑み鉄。
朝、弘前で天麩羅そばを食べてから、何も食べていないから、かなり腹がすいていた。
ただ、「こまち」は全席指定で自由席がないから、何処で客が来るか解らない。
この座席も、田沢湖で乗って来たから、4番B席に移動した。
まあ、それまでに弁当も酒も片付いていたが。
大釜で停車。
交換かと思ったら、雪落としの作業だそうだ。
煙が上がっても、故障ではないとの放送が入る。
盛岡には約15分遅れ、18時5分頃に到着。
新幹線改札口へ向かうと、改札をダッシュで走り抜け在来線ホームに消えて行く二人組がいた。
何と云うか…
浅間しい。
此方は手続きをして、18時17分発の一ノ関行きに乗車。
車輛は勿論、701系。
4輛編成での運行。
ここから仙台まで、恐らく701系オンリーの旅。
もし、列車が遅れずに大曲で14時55分の盛岡行きに乗れていたら、盛岡には16時56分に到着していた。
ただ、仙台までの乗り継ぎは盛岡発18時17分の一ノ関行きだったから、新幹線のお蔭で追い付いた事になる。
車内は割と混雑していたが、座れない程ではなかった。
それでも、花巻、北上と減って行く。
「間も無く、ろくはら」と聞いて「えっ

六六波羅

」と思ったのは秘密だ。
金ヶ崎でかなり下車して、閑散とした。
陸中折居で、ドアが完全に閉まらなくなるトラブルが発生。
車掌がドアを何度も開け閉めして、色々やっているが、どうにもならない様だ。
叩いたりする音が車内に響く。
結局、8分程遅れて発車した。
余りの寒さにドアが凍りついていた様だ。
平泉でも、ドア凍結のトラブル発生。
結局、9分遅れの19時58分に到着。
次に仙台行きは19時54分。
跨線橋をこえて1番程に急ぐ、
701系が4輛編成で待機していた。
乗ったと同時に発車。
7分遅れの20時1分に一ノ関を出た。
車内は閑散としているが、矢張りロングシート名乗り駅弁だの呑み鉄だのは出来そうに無い。
取り立ててする事も無く、ただのんびりと列車に揺られている。
時折、窓の外に月が輝いて見える。
21時35分、仙台に到着。
仙台空港アクセス線に乗り鉄しようかと考えていたが。行って戻って来るのに1時間半近く掛かるので、止めた。
東横INN仙台東口1号館の321号室にチェックイン。
明日は、京都に帰るだけの旅。
何の楽しみも無い。
矢張り、北上線と花輪線に乗れず終いだったのが、かなり尾を引いているようだ。
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