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2020年12月25日10:10

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中村泰士に続き、「北酒場」は、作曲者、作詞者を立て続けに失ったことになったわけだ。

なかにし礼さん心筋梗塞死去 作詞家で作家 82歳
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=6355731
作詞家にして直木賞作家のなかにし礼が亡くなった、ですか。昨日も、作曲家で歌手活動も行っていた中村泰士の訃報が報じられたばかりで、昭和歌謡に足跡を残した作品の作り手が相次いで亡くなるニュースが、このクリスマスシーズンに流れたことになりますね。
なかにし礼と言えば、昭和40年代前期に石原裕次郎などの曲の作詞で頭角を現し、菅原洋一の「知りたくないの」、「今日でお別れ」、黛ジュンの「恋のハレルヤ」、「天使の誘惑」、いしだあゆみの「喧嘩のあとでくちづけを」、「あなたならどうする」、弘田三枝子の「人形の家」など、作詞家として約4,000作の作品をを残した人であり、後年、「長崎ぶらぶら節」で平成12年の直木賞(第122回)を受賞した作家としても知られ、テレビの歌謡オーディション番組の審査員やクイズ番組の解答者(中村泰士もそうだったが“タモリ繋がり”があり、テレ東の「タモリの音楽は世界だ」の解答者だったことがある)としてお茶の間にもなじみのある顔でした。一度結婚と離婚を経て、昭和46年に石田ゆり(いしだあゆみの妹)と結婚したことで大きな話題となりましたが、一方、週刊ポストに俳優や歌手などの乱れた関係を暴露する記事を載せて後に小学館を告訴し記者が逮捕される事件となったり、また、投資に失敗した兄の膨大な借金の肩代わりなどで困難を抱え、設立した芸能プロダクションが倒産した際には約2億5000万円の借金を作ったとも報じられるなど“どん底”の時期が長かった人でもあり、いろいろと波瀾万丈のあった人という印象もありますね。
平成26年に食道癌が発覚、晩年は癌の罹患、さらには、持病だった心臓疾患(植え込み型除細動器(ICD)と心臓ペースメーカーを体内に植え込む手術を受けた)との闘いでしたが、その一方で「生きるということ」なる単行本を上梓、自身の戦争体験に基づき「平和の尊さ」や「核兵器・戦争への反対」を訴える著述や活動に傾注、左派のアジテーターの一人と見られることが多くなった印象がありますね。
それにしても、細川たかしの代表作である「北酒場」や「心のこり」は、なかにし礼作詞し中村泰士が作曲した曲であり、作曲者、作詞者を立て続けに失ったことになったわけで、特に昭和57年発表の「北酒場」はテレ朝の「欽ちゃんのどこまでやるの!」から生まれた曲であり、毎週のオンエアでレギュラーメンバーの細川たかしが欽ちゃんにいじられながら披露され、番組の名シーンを飾った曲でした。
持病の心臓病が悪化したことに伴う心筋梗塞で、23日に亡くなったとのこと。享年82。合掌。


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