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2020年12月12日21:34

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全国で新たに3024人がコロナ感染 初の3千人台

■全国で新たに3024人がコロナ感染 初の3千人台
(朝日新聞デジタル - 12月12日 18:37)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6340629

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新型コロナウイルスの国内感染者は12日、午後6時15分現在で新たに3024人が確認され、10日の2971人を上回って過去最多を更新した。都道府県別では東京都621人、大阪府429人、愛知県206人、北海道189人だった。

 これまで最多だった10日より19人多かった東京都では、「人工呼吸器か体外式膜型人工肺(ECMO(エクモ))を使用」とする都基準の重症者は68人で、前日より1人増えた。新たな感染者621人を年代別にみると、20代が181人で最も多く、30代119人、40代89人、50代が80人だった。65歳以上の高齢者は77人だった。

 厚生労働省は国内で新型コロナウイルスに感染した重症患者が、11日時点で578人に達したと発表した。これまで最も多かった8日時点の555人を上回り、過去最多になった。
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取り敢えず5000迄は右往左往しないと決めてる。

増加に関する懸念は、何時、どれくらいで、という話であるから、こんなものは、上陸作戦が起きるのは当然として、何時、何処で、どの規模でを想定していたナチスドイツと全く同じと例える事ができる。こんなのあらゆる会戦で予想し準備し移動し待って、号令してきた事と変わらない。そして戦争の趨勢は戦う前から決まっているのを良しとすると孫子も語っている。

故に、日本の専門家たちも口には出さないが、プランA、B、Cくらいは想定していたはずだし、冬の間にどの程度の感染爆発が起きるか、それはどの程度の規模でどれくらいで、それくらいの増加率を示すかは想定していたはずである。それが出来ないというなら、4月や8月の、アメリカやヨーロッパのデータをそのまま当てはめてシミュレーションするだけでよい。

そして手持ちのリソースがどの程度で飽和するかを計算するのはそう難しくはない。感染者の増加の曲線から、重篤者の割合を出して、その積分値が必要な病床数でいいはずだ、そこから回復者の数を引いてやれば感染者数と必要な病床数が求められる、だぶん。

で、その数を基に、どの程度のオーバが発生するか、+20%、0%、−20%でプランA,B,Cは決まる。当然、原子力発電所で裁判官が指摘したように予測の上を前提としておかないといけない。それも簡単だ、アメリカの数値をそのまま導入すればいい。その時、この国の医療体制がどうなるかなんて簡単に求まる。

予測は常に簡単な数式だからそう難しくないのである。問題はその後だ。極めて簡単に病気を抑え込む事はできる。そんなのは4月の時点で誰の目にも明らかだった。全員を家に閉じ込めれば封じ込められる。それはヨーロッパがやってみせた。

しかし、これは免疫を得た訳ではないから、何の問題解決でもない。隔離は問題の先送りであって、先送りする間に、原因が消滅する事を期待する方法だから、当然だが、ヨーロッパではまた大増加している。クリスマスくらいは自由に過ごさせたいという理由から11月にロックダウンした。フランスのデータを見れば、効果がてきめんである事が分かる。もちろん、問題の先送りである。

原因を解消する一番の方法は全員が感染する事だし、スエーデンの方法は合理的だが、被害0はあり得ない。どうしても被害は出る。問題は誰がどれくらいの被害かである。もちろん、家族からすれば、誰が被害を受けても悲しいはずである。例え犬や金魚の家族であってもそれは悲しい。

だから多くの医療関係者がこの疫病が老人に対して被害が大きい事を幸運だと思っているはずだし、天然痘や狂犬病のような凶悪でなくて助かったと思っているはずなのである。医療機関が崩壊を懸念しているのは、単に患者数に対するリソースの問題だし、それを避けるには、ひとつしかない。リソース以上の要求は全て拒否する事だ。

つまり、早い物勝ち、恐らく、特定の金持ちや権力者は優先して入院して治療に当たるが、そうでない人は、治療中でも退院させる、そういうのが現実になりつつある。そういう嫌な役目を追わなければならなくなれば、恐らくPTSDになる。そういう心理的負担の問題なのである。だから、彼らは仕方ないという言葉でその他の病気の患者を扱うのを止めたし、手術を延期したり、退院もさせたりした。

リソース不足が戦争の原因だとしたら、これは戦争である。その最前線にいる医者たちも疲労、特に精神的な、で限界を迎えつつある。それがたった500人/日で起きたわけで、東京のキャパでこれなら、地方都市など押して知るべき。とても1000のオーダーに耐えられるとは思えない。100機を超えるB29の来襲に何機の紫電改を飛ばせたか、その数字を見る気分なのである。

すると当たり前だが不足したリソースを補うには、学生を参加させるしかない。アメリカも実際そうしたし、人工呼吸器が足りないとなれば、生産設備をもつあらゆる企業が参加した。同様の事はどの地域でも起きるだろう。

そのような中で期待されるのは、崩壊前に罹患した人たちで、早い話がこの人たちはこの冬を殆ど何の心配もなく乗り切れるのである。患者があふれる病室でも鼻歌歌いながら行動できるはずなのである(少し誇張している)。

もちろん免疫を獲得した事は、二度と罹患しないという意味ではない。再び感染しても軽症で終わる。上手くすれば初期免疫でウィルスを封じ込めるだけである。感染すると少ないながらもウィルスをまき散らすかもしれない。しかしどうせ患者しかいないならそう気にする事はない。自分が吐き出したウィルスを再度取り込んで、また体内のフカフカベットを提供すると治りが悪くなる。だから風邪を引いている時もこまめに換気して、ウィルスを外に追い出すのは重要だ。

ここまでは恐らく医療的な問題、医者の心理学の問題であるが、最も気にしなければならないのは、社会的な人々の行動である。つまり、世代間で病気への脅威が異なる以上、世代毎の対策が必要なはずであって、例えばリスクの引く20代までと、リスクの高い70代以上が全く同じ方法で立ち向かうべき病気ではない。

このふたつの層を例えば都市単位で完全に分離すれば、話は簡単で、70代以上の全員をどこかに疎開させるなり、隔離するなり、収容すればよい。実現性は別にして、隔離、つまり、物理的距離を離す事が最大の対策であるから、そうするしかない。

曜日ごとに外出制限をするとか、曜日ごとに立ち入り禁止区域を設けるとか、そんな事をすれば、対策になるだろう。だが、もちろん、全く隔離するなど、南部のアメリカで黒人と白人の間でさえ不可能であった。という事はそういう方法は現実的ではない。

だが、現実に目の前にある経済的問題の殆どは、低リスクと想定される人々の行動を制限しているから起きているのであって、その制限にしても、罹患すれば重篤する人も含まれているだろうから、医療的にみれば推奨できない。しかし、それなら全員をロックダウンするのかと言えば、そんなことすれば経済的に潰れる業態が多数発生するだろう。

国家としては金を使う政策を行うしかない。もしそれが危険なら、本当なら使うであったろうお金を、人々が使う変わりに政府から直接、被害を受けている部分に分配するしかない。これをするには、人々が旅行したり外食に使用するであろうお金を預かるしかない。つまり増税するしかない。

しかし、政府の再分配機能については安倍政権以降、よく分からんお友達友優遇がデフォルトになったからま、期待できない。コロナ成金になる連中の顔ぶれをみれば、何が起きているかはよく分かるだろう。これがちょっと違う国で起きたなら、革命である。よって日本の警察はそういう動きに対して抑え込む方向に変わるだろう。強権と賄賂にまみれる警察に変貌するのか、それとも市民とともに歩む警察になるか、正念場である。

予想に反して右肩上がりとはいえ上昇率は小さい。これが多くの人の行動様式に基づくものである事は間違いない。もともと、人との距離を遠く離す習慣が有効だったのか。または会話する時の向き方か、満員電車が示すように会話をしない事が重要なのか。

無口な人とおしゃべりな人、社交的な人でそうでもない人では罹患率に変わりがあるのか、これは十分にありそうだ。

いずれにしろ、政策をどう実現するかは難しい。GOTOを止めた方がいいと専門家は言う。確かに人の移動は病気が拡張する唯一の理由である。ならば、GOTOの出発元と行先との間には、感染率の上昇に相関関係が見出せる。ならば東京、大阪、札幌が爆発しているという事は、この三か所は、GOTOで人が多く集まったはずという事になる。つまり、使用車の行き先と比例しているはずという事になる。だが、どうもそういう観点からのデータは取っていないようだ、または学者が論文を書いている最中か。

しかし、第三波の最大の理由は冬の到来と考えるべきだし、この冬が厳冬になれば、若い人でさえ安心はできない。そして今年は厳冬である。今頃ゆうなよという話だが、確か8月ころにはもうそういう予想はあった気がする、つまり準備する時間は沢山あった。

色んな人がいろんな発信をしている。こうした方がいいのじゃないか、これに注意する方がいいのではないか。だが、この国の基本スタンスが責任を取らない事にある。そのため、責任を取るという行動を人々は忌避する。情報を提供する事はあっても、それに基づいて決める事はしない。もちろん、それをする場合は、組織的に、それをする事を業務として求めるように制度設計している。

この制度設計がくせもので、今年のように予期せぬ事が起きた時に、どこにも責任を負う人がいない、人がいないというより、そういう人をそういう立場に配置する仕組みがない。ある意味では組織的に責任の範囲が決められているから、この国の人は、それを超える事を嫌う。

それは何も自分の保身の為だけではない。その役割を担う人がいるかも知れない、そこに過剰に入り込む事は、その人の邪魔をするかも知れない、そういう風に働くからだ。これは個々人に対する問題意識が互いの信用の上に成り立つ組織である、という事にもなる。

恐らく、パンデミックに対して、この国には、責任を負って対策する部門がない。どこにもない。そのため寄せ集めでやる。では責任者は誰か、と聞かれたら、全員がこういうはずである。私たちではない。この組織が進言する先のどこかであると。

その先は首相ではないかと言われても首相などウィルスと細菌の違いさえ分かっていないかもしれないのである。医療的な要望は理解しているかも知れない。観光業の悲鳴をたくさん聞いているかもしれない。各企業の事業悪化の相談をたくさん聞いているかもしれない。しかし、それを統合してベストな政策を作り上げる役割ではない。首相の仕事は、良いと思う政策の実行にGOサインを出す事で何等かの具体的な政策を立案する事ではない。それをやるのは官僚の仕事だ。

そして、パンデミックの総合的政策を立てるとは、明らかではあるが、見捨てる場所、諦めてもらう場所、努力はするが、保証はしない場所を決める事である。医療の限界に基づいて政策を決めるなどという簡単な話ではない。医療の限界をどの程度までなら超えられるか、その時にどれくらいの被害が出るか、それでもそうすると決めなければならないのである。

被害を想定した上で政策を立案するのは、例えば戦争や、災害派遣などがある。軍隊はその前提を避けえないから、そういう発想になりやすい。しかし、どのような仕事でも、一つ間違えれば被害が出る。その被害を0にする事を誰もが目指している。毎日稼働している工場にさえ標語として0災害という垂れ幕が掛かっている。つまり、0ではないのである、ちょっとした事で被害が出るのである。

つまり、誰だって被害が出る危険性との隣り合わせにあって、今日事故が起きなかったのは、小さなことの積み重ねである。そして幸運である。そしてどれだけ積み重ねても被害が避けえない状況がある。医療はその顕著なものだろう。どれだけ注意しても全員を助けられるわけではない。

その決断をするのは難しい。そして、決断しなくても人は亡くなってゆく。医療崩壊すれば、病気で亡くなる人が増えるだろう。医療を守れば、職を失い犯罪に巻き込まれたり自殺する人が増えるだろう。そして、これを両立する方法が今の所ない、というのが専門家たちの見解である。この半年間、だれも研究してこなかったのか。

世界の政府が行っている基本はワクチンを打つまでの時間稼ぎである。それまでに有効な方法は何かを医療専門家は提案し、経済に対しては、人々の行動を後押しする方向に推進した。その時点から医療専門家に求められたのは、感染を防ぐ行動様式は何かである。換気を基本としマスク、手洗いうがいという方法が取られた。

しかし、秋移行、恐らく人間の体も季節替わりに冬に向けての何等かの変化があったのだろう。それに応じるように増加しているのは風邪としてみれば当たり前に思うが、これを完全に封じ込めるには、まだ知見が足りないようである。マスクをして手洗いをしても感染したと吐露する人までいる。

この冬も罹患せずに乗り切れると思っている人は幸いだろう。逃れられないくらいに考えておいた方がいい。すると重症化さえしなければいい。軽症と思われたのに急に悪化してする可能性はある。だが、それはもう仕方がないのである。そういうものまでを潔癖に要求すると何もできなくなる。責任を取れるのですか、と問われたら、ならやらずに置いておきましょう以外の答えができない。これが日本的方法論である。

故に責任を取れるのかと聞くものは何もしない事を要求したと同様であり、そういう人たちが状況を固定化し、ただ黙って嵐が過ぎるのを待つ事を強いている。そういう意味で、これらの問題は、医学でも経済学でも工学でもない。この国の社会学の敗北であろう。

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