〈12/10(木)本日の一言メッセージ〉
「他者のわらじを履いて」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/21886 (写真入り記事)
神學生時代に同級生から、「將來牧師になる人なのだから、そろそろバイクを卒業して車に乗られたらどうですか?」と言ってくれた人がいます。
友人・知人の中で、バイク事故で亡くなった人がいましたので、私の心の中に、神の聲であるかのように強く響きました。
16歳からバイクに乗り続け、限定解除をし、50ccから1000ccを越えるバイクまで乗り継いで來ましたが、一時的にバイクから離れた時期があります。
バイクを乗らなくなって感じたのは、退屈さです。
バイクは、気分転換と刺激を與えてくれていたことがわかりました。
ついに、今のバイクを中古で安く買いました。
ピッカピカで、私に、「ご主人様、乗って帰ってくれませんか?」と語りかけているように感じました。
その日に成約をし、3日後に取りにいきました。
安全のため、一時バイクから離れた私が安全運転のために私が心がけていることがあります。
他者のわらじを履いて運転することです。
つまり、バイクに乗っていますが、四輪車を運転するような気持ちでバイクを運転します。
バイクと車は特性が違うので、お互いに相手を邪魔に感じます。
車に乗っていると、バイクがちょろちょろと、あっち行ったりこっち行ったりするので、危なっかしく見えますし、はっきり言ってしまえば邪魔です。
バイクに乗っていると、車はチンタラチンタラ走るので、邪魔に感じます。
バイクか車のどちらかしか乗ってない人には、相手が理解できなくても仕方ありませんが、私は、日常的に、バイクにも車にも乗っています。
つまり相手の乗り物の立場がわかります。
不思議です。車に乗っている気持ちでバイクを運転すると、気持ちが落ち著きますし、車の動きが想像できるので、安全運転につながります。
車に乗った時にも、バイクに乗っているような気持ちで運転すると、バイクがちょろちょろ動くことに関して寛容になれますし、バイクの動きを想像できるの、安全運転につながります。
これが、私の安全運転の秘訣です。
しかしこれは、運転に限らず、人間関係や仕事などにも適応できます。
相手の立場に立って物事を考え、理解した上で行動すると、不必要に相手を羨ましがって妬んだりしないで済みますし、相手を理解できなくて腹を立てたてることも減ります。
いろいろな可能性を事前に察知することで、爭いや失敗を避けることができます。
実際、相手のわらじを履いて歩くということは簡単にはできません。しかし、それを心がけることで、少しはよい生き方が出來るようになるものです。
また、私のわらじを履いて下さった方と出會い、その愛を體験すると、その分だけ、今度は相手の立場に立ちやすくなります。
私のわらじを履いて下さったお方は、イエス・キリストです。キリストは、私たちの罪・咎・病・呪い・死という負の遺産を身代わりに背負って死んで下さり、信じる者を救って下さいました。
そしてキリストは、こう語られます。
「あなたがたに新しい戒めを與えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13章34節)
他者のわらじを履くとは、他者を愛することです。
しかし、「愛しなさい」と言われたくらいで愛せるなら、警察も、軍隊も必要ありません。
大切なことは、「愛せますように」という祈りからスタートすることです。
愛せないからこそ、「神様、助けて下さい」と祈るのです。
その祈りは御心にかなった祈りなので、助け主である聖霊が働いて下さり、愛せせるように力を與えて下さいます。
相手のわらじを履くかのように、相手の立場に立って運転をする時に安全運転が出來るように、相手のわらじを履くかのように、相手の立場に立ち、相手を愛するなら、幸せで、よりよい人生を生きることができるようになります。
共に、相手のわらじを履くように、愛し合い、豊かな人生を目指していけたらいいですね。
【動画メッセージ】
「行いによる義」
https://youtu.be/QEUX7lqEHsU
【川口駅路傍伝道】
https://youtu.be/mp9y22pZFIo (後半)
【田端駅路傍伝道短い動画】
https://youtu.be/q_H--tbckx4 (田端のあなた)
https://youtu.be/x80gMkjjn4c (愛を持って生きていこう)
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