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2020年11月29日23:09

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上告不受理+最後の陳述書前半

先日悔しくも上告不受理となり、5年続いた障害年金裁判が終わりましたが、最後に私が書いた上告向け陳述書をここに公開します。

実はこれを読んで担当弁護士から初めて盲人スキルを身につけた上での生活の困難さが改めて理解できたと言われました。

自分でも確かに今までっここまで訴えたことはなく、ただ、スクリーンリーダーを用いてきた、白杖を用いてきたと言えばその困難さが分かるだろうという思い込みがあり、具体的かつ詳細なことは述べてきませんでした。

この陳述書は裁判に関心のない方にも是非知ってもらいたい視覚障害事情といえますので、どうか読んでいただけたらと思います。

以下転載

 第一審、第二審とも「日常生活に著しい制限」ではないとしてこちらの主張が棄却されましたが、全く不可思議、不可解としか言いようがありません。
 それについて詳しく説明していきます。

【目次】
A.これまでの判決の問題点概要
 1.強引かつ恣意的解釈
 2.等級基準における差別的解釈
  a.視機能以外の補填能力の混入解釈
  b.明らかな傷病名差別
B.申請時の私の状態再掲
C.判決文から具体的反論
 抜粋1 外出や室内の活動において
 抜粋2 視覚を用いた検査について
D.福祉機器を用いた生活詳細
E.結論

A.これまでの判決の問題点概要
 今までの国の主張と判決において問題なのは主に以下の2点です。
1.強引かつ恣意的な解釈
 カルテにせよ専門家や原告の意見など、すべて国側に都合の良い部分のみをピックアップし、逆に都合の悪い記述を無視した上での強引かつ恣意的解釈による主張。
 特に眼瞼痙攣患者が最も求める時間概念を意図的に無視し、ポテンシャル(潜在的可能性)視力のみを強調した手法をとっている。
2.等級基準における差別的解釈
 2級要件の「日常生活に著しい制限」の解釈においても、既に認めている視力・視野の視覚障害基準から遥かに逸脱した厳しい解釈を適応している。
 大別すると以下の2点である。
a.視機能以外の補填能力の混入解釈
 眼以外の能力を眼の年金基準に持ち込んでいる。その結果、全盲でもできる行為でさえも棄却理由に加えている。
b.明らかな傷病名差別
わずかでも視機能を使えば「日常生活に著しい制限」として認めない。しかし、視力・視野障害者の年金1・2級受給者で視機能を使う者はいくらでもおり、眼瞼痙攣に対してのみ極度に厳しい解釈を用いている。

B.申請時の私の状態再掲
 そして、改めて私の病状を以下に再掲します。これは、本件訴訟に関わる申請時に当時の担当社労士、及び山上医師に渡したものであり、井上眼科にも保管されているものと思います。また、審査請求時にも提出したものです。よって、申請後に付け加えたものではないことにご留意ください。
能戸幸恵の病状
動きのあるもの、光の強いものを視界に入れる事ができない。もしもそういった物が一瞬でも視界に入れば、たちまち堪え難い苦痛が発生し(目の周辺筋肉が痛くなり、頭痛や吐気につながる)、目を閉じていなければならなくなる。
文字読みなどの視点移動も長くは続けられず、基本、読書は禁止。
目の使用可能量を(開眼可能率)×(開眼可能時間)で表した場合、正常な人の5%にも満たない。特に動く物がいやでも視界に入る外出時、自分自身が動く作業時といった、目を使うべき肝心のシーンではその割合が著しく低下するため、まったく実用に耐えられる目とは言えない。
外では白杖とサングラス、日傘を使用。季節、昼夜を問わずにこのスタイル。さらにサングラスの中には黒布を入れて片目は完全に盲目にし、もう片方の目にはわずかに穴を開けた黒布を入れて視界を制限した上で、数秒に一瞬うっすらと下だけを見る程度で歩いている。特に人ごみや車の多い場所では限りなく盲目に近い状態で歩かざるを得ない。とはいえ、これをやればどこへでも自由に行けるという訳ではなく、ごく限られた人の少ない知っている場所にしか行けず、始めての場所や人ごみでは人に手をひいてもらい、また、光の揺れを感じるだけでも目の疲労を感じるため、アイマスクを使用している。
買い物は特に困難なため、今は宅配と人に任せている。
パソコンは視覚障害者用の機能であるスクリーンリーダーを使用。必要にかられて文字を読む場合は5分やって1時間休憩、家事なら10分やって1時間休憩といった具合。
もしもこういった制限を無視して目を使いすぎた場合は元の状態に戻るまでに多大な時間を要する。例えばオーバーワークに気づかず数日連続で疲労をためてしまった場合に数ヶ月感かかったり、限界まで到達するまで使いすぎた場合は頭痛に加えて微熱まで発生し、ひと月以上寝込むといった事も経験しており、心して目に負担をかけない生活を送る必要がある。
 初診日から1年6ヶ月後にあたる障害認定日のその後約2年後が裁定請求日であり、初期の頃より悪化していることが記されています。

C.判決文についての具体的反論
 以下に先に挙げた二点の問題点について主に第一審判決文からいくつか抜粋し、指摘します。
(*第二審判決でいくらか改訂があるものの、ほとんど第一審を受け継いでいるため、そうさせていただきます。)
抜粋1 外出や室内の活動において
「原告は,その日常生活における様々な場面において, 必要に応じて視覚を適宜用いることができていたと推認することができるから,原告が一人で行っていた自宅の内外における種々の活動が, 経験の積み重ね,原告本人の努力や周囲のサポー トによる盲人スキルの向上,視覚障害者向け機器等によってのみ可能となっていたものであるとまでは認め難い。 」
中略
「これらによれば,原告は,本件裁定請求日当時,必要に応じ視覚を用いることができ,一人であっても,異なる複数の場所への外出を含め, 日常生活を著しい支障なく送ることができたと認められる。」
 これらの文を根拠に第1審では「日常生活に著しい制限でない」とされましたが、この判決方法に問題の点を以下に挙げます。
 上の文の「経験の積み重ね,原告本人の努力や周囲のサポートによる盲人スキル の向上,視覚障害者向け機器等によってのみ可能となっていたものであるとまでは認め難い。」では「のみという言葉を用いていることから、「日常生活に著しい制限」の要件は盲人スキルや第三者の介助に占める割合が100%でなければいけないとしていることがうかがえる。
 これは「2.等級基準における差別的解釈」の「b.明らかな傷病名差別」に相当する。
 事実、視力・視野障害での年金1・2級受給者で他人の介助なしに外出できる者や、私が使う画面読み上げ機能や白杖を必要としない者など珍しくない。
 また、他人の介助なしに日常生活や外出をこなせる全盲者も珍しくない。
 よって、明らかに視力・視野基準と遥かにかけ離れた厳しい基準にしている。
「一人であっても,異なる複数の場所への外出を含め, 日常生活を著しい支障なく送ることができた」との判断の根拠としているものは、ヨガやサウンドテーブルテニス(盲人向け卓球)、視覚障害者向けパソコンボランティアによる外出、飛行機に乗っての帰省について第三者が付き添った様子が見られないといったこととしているが、まず、飛行機に乗っての帰省は航空会社や空港、駅など各の管轄係員に介助を頼んだ上での実行であることを控訴審で述べた。
 また、単独外出は行き慣れた場所に限ることを主張してきた。
 にも関わらず、判決文では「大部分の外出において第三者の付き添いがない」ことを根拠に日常生活に著しい支障でないとしていることから、眼瞼痙攣においては「大部分の外出において第三者の付き添いがあって」初めて「日常生活に著しい支障」という基準を適応している。
 これも「2.等級基準における差別的解釈」の「b.明らかな傷病名差別」に相当する。
 すでに述べたが、そもそも視力・視野障害での年金1・2級受給者で他人の介助なしに外出できる者など珍しくなく、そのなかには全盲も含まれる。明らかに視力・視野基準と遥かにかけ離れた厳しい基準にしている。
 また、サウンドテーブルテニスというのは視覚障害者向けのスポーツであることから原告は普通の卓球ができなかったと解釈するところが一般的だが、意図的にそこを無視している。
 同様に視覚障害者向けのパソコンボランティアにおいても、これは視覚障害者に教えられるほどの画面読み上げ機能を原告も習得していた証拠と受け取られ、それほどその盲人としてのスキルを必要としていたと一般的には解釈するところを、これもあえて無視して「支障なく外出できていた」と解釈している。
 これらは1の強引かつ恣意的解釈に相当する。一般解釈では、これらの記載から「支障なく外出できていた」とはしない。
 ここは、「外出は完全に不可能ではないが、係員の介助を事前に申し込まねば公共交通機関の利用ができず、初めての場所に行くのに介助者を必要とし、日傘やサングラス、白杖も必要というのは、日常に著しい支障となる」と読み取るのが自然である。
 また、繰り返しになるが、画面読み上げ機能は視力・視野障害者の年金1・2級受給者でも必要としない者もいる。むしろ必要としない者のほうが多数派であることから2.等級基準における差別的解釈のb.明らかな傷病名差別にも相当する。
 また、白杖を使うということは特殊な道具と触覚や聴覚といった視機能以外の能力を使うことを意味しており、2.等級基準における差別的解釈のa.視機能以外の補填能力の混入解釈も認められる。
 これは繰り返し主張している画面読み上げ機能を用いての情報機器使用においても同様である。
 ほか、外出・パソコン以外の日常生活については判決文に「身だしなみを整えることを含む日常的な着替え及び洗濯のほか,簡易な調 理や掃除を著しい支障なく行うことができていた」としているが、わずかな時間しか眼を使うことができないことによる失敗談「ミトンに火が燃え移ってても気づかなかった」や、「家事な ら10分やって1時間休憩」「調理のあとは暗闇で食事」など、限定された生活を再三主張してきたにもかかわらず、そこはほとんど勘案されることなく「著しい支障なく行うことができていた」と解釈している。
 これも1.強引かつ恣意的解釈に相当し、一般的には「著しい支障なく」とはみなさない。
 これもまた、多少の失敗はあれど日常生活を送れている視力・視野障害者の年金1・2級受給者はいくらでもいることから2.等級基準における差別的解釈のb.明らかな傷病名差別も入っている。

抜粋2 視覚を用いた検査について
「しかし,原告が視覚を用いて 300問弱の問いに回答 したこと自体は原告も特に争っていないところ,当該事実からは,原告が上記の程度には視覚を用いることが可能であったことが裏付けられるのであり, 前記(ア)の 認定に沿うものである。」
中略
「センター病院において,MMPIの他は,開瞼し視覚を用いて各種検査を受け,MMPIについても, 300問弱もの質問事項について,パソコンの画面上の記載を視覚を用いて把握しこれに回答したこと (前記2(4)ウ)など複数の原告自身も自認する客観的な事項からも裏付けられているというべきである。」
 これは1.強引かつ恣意的解釈であり、特に眼瞼痙攣患者が最も求める時間概念を意図的に無視し、ポテンシャル(潜在的可能性)視力のみを強調した手法をとっている。
 事実、MMPIについて、途中でギブアップし、読み上げを依頼したことはカルテにも書かれていることであり、決して容易にできたことではないことが証明されているにも関わらず、国の反論や判決文は毎度必ず「視覚を用いることが可能であった」「視覚を用いて把握しこれに回答 した」等の文でしめくくり、結局のところポテンシャル視力のみに帰着しており、視機能活用可能時間は無視している。
 これまで私が不服を申し立てきたのは視力・視野のみに偏った判定ではなく、眼を使える時間概念を取り入れてほしく、その上での日常生活における視機能活用能力をみてほしいという旨で行ってきたにもかかわらず、結局のところわずかな時間でもポテンシャル視力が使えれば時間的不利さは完全に無視して良いとした判決であり、こちらの主張を全く無視している。
 また、ここには2.等級基準における差別的解釈b.明らかな傷病名差別も入る。
 結局のところ、わずかでも視機能を使えば「日常生活に著しい制限」として認めていない。
 しかし、視力・視野障害者の年金1・2級受給者で視機能を使う者はいくらでもおり、あからさまに眼瞼痙攣に対してのみ極度に厳しい解釈を用いている。
 なお、視力検査では明るい部屋で斜光のない眼鏡を用いてのものだが、私は屋外では裸眼視力に度のない斜光グラス、奥内では度入りの斜光眼鏡であり、検査で用いる斜光度0の眼鏡は持ち合わせていない。よって、日常生活において検査並みの視力は一瞬たりとも出ていないことも付け加えておく

次へつづく
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前へ(控訴審判決)
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