東京女子医科大学の創始者 吉岡彌生(明治4年1871〜昭和34年1959)
女性が学ぶことも仕事をすることも困難な明治時代に、吉岡彌生は医師になる夢を実現
しただけでなく、医師を志す女性たちのために、東京女子医科大学の前身となる東京女医
学校を創立しました。なぜ、掛川の高天神城の麓で生まれ育った女性が偉業を成し遂げら
れたのか、掛川市吉岡彌生記念館の学芸員とともに足跡を辿ってみる。掛川の土方(ヒジカタ)
で生まれた彌生は、幼い頃から勉強好きな一方、正義感が強い、山や川で遊ぶ活発な子供
でした。小学校を卒業した彌生は、「人の為になることをしたい」と医師になる決意をし
反対する父を説得して上京。数百人の男子学生に交じって学び、医術開業試験にも合格し
日本で27番目の女性医師となる。その後、自分が学んだ済生学舎が女子学生を受け入れ
ない方針を知った彌生は、東京至誠学院を営む夫の吉岡荒太と協力し、東京女医学校を明
治33年に創立開校。時に29歳という若さだった。そこまで成し遂げるのも大変な苦労
だったが、法改正により、大正3年以降は医学専門学校の認可をえなければ生徒が医師試
験すら受けられないという廃校の危機が訪れる。夫婦は奔走して借金をし、設備を整えて
やっと明治45年に認可が下りて晴れて東京女子医学専門学校となった。
吉岡彌生は女性医師の道を切り開いただけでなく、様々な婦人団体の要職を務め、女性の
社会的地位の向上にも貢献した。その彌生について「好奇心が強く魅力ある人」「愛情あ
ふれる人柄に、みんな引き付けられたのでは。女性だからとあきらめず、目的を成し遂げたところが凄い」と、学芸員の二人が話す。
漢方医である鷲山養斎の二女として生まれる。18歳の時、医師を志し上京。済生学舎に
入学。21歳で医師開業試験後期に合格。日本で27番目の女性医師に。東京至誠学院・
院長の吉岡荒太と結婚。29歳で東京女医学校を創立。東京女子医学専門学校に昇格。
東京女子医科大学認可を経て、81歳で同大学学頭に就任。
掛川市吉岡彌生記念館 掛川市下土方474番地 電話 0537-74-5566 9:00-17:00
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