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2020年11月28日09:13

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山添村毛原廃寺は唐招提寺の規模があった。奈良仏教。

徳一菩薩 (第2集) (歴春ふくしま文庫)
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  平安仏教の起こる中

 東国に奈良仏教 法相宗を引っ提げて

 ( 恐らく 坂上田村麻呂と協同して
)

  会津磐梯町に 慧日寺

 河東町に勝常寺  会津一円に 法相宗を

  広めた。


  常陸の あの山が 先に法相宗を開かれた。



   平安新仏教は  最澄  空海の二大巨匠によって


 密教が 奈良仏教から新興して  比叡山と高野山が開かれた。


   修験道は 後世 真言宗当山派 天台系本山派 が出来た。


  ところが 鎌倉仏教は 法然 親鸞 日蓮 道元と

 勃興し  平安末期平清盛が 興福寺を焼き討ちしていた。

  戦国時代  今度は 織田信長が 比叡山を攻めた。

  慧日寺を 伊達政宗が破壊し この時に

 トクイツ座像が斬られた。


   源平合戦の世に慧日寺は平泉藤原と 越後平家 に

 依拠して 源氏に敗れ 既に法相宗から 天台宗になっていたのか

  戦国に真言宗に変わって今日に至ると思われるが


  磐梯修験とは大伴家が 磐梯神社として今日近代ウィ

継承して いたと考えられたが


   修験道とは

 あるいは徳一が  磐梯山を以て開き

 会津  御坂山に大高寺 会津坂下町に高寺 を

  以て 飛鳥仏教ウィ更新して行った。

 のであろうか。?


   



  
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