〈11/25(水)本日の一言メッセージ〉
「赤じゅうたんは敷かれなくても、神に仕え続けよう」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/21864 (写真入り記事)
十代、二十代の頃、疲れ知らずでした。力がいくらでも湧いて来るように感じて、その勢いは、三十代になっても衰えませんでした。
四十代になってからは、体力や気力が下り坂になっていくことを感じます。
無理ができなくなり、限られた体力の中で、優先順位をつけて生きていかざるを得なくなりました。
ここ数年、仕事の数を半分にまで減らしました。
ところが、減ったはずなのに、一つひとつの仕事に責任が与えられて、仕事量はかえって増えました。
究極的には、神様が私に与えられた仕事にのみ徹していくしかないと感じています。
仕事の数や仕事量が多ければ実を結ぶとは限りません。
合理的になるのが必ずしも良いとは思いませんが、神が私に与えられた仕事に徹することこそが、真の合理的生き方じゃないかと思います。
第一は、神との関係。
第二は、人との関係です。
神との関係が、第二、第三になってしまったとしたら、本末転倒です。その業は火で焼かれてしまいます。
「だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます」(ヨハネ15:6)
伝道牧会という牧師の働きに、赤じゅうたんが敷かれた場所はまずありません。
特に、日本での伝道や未開地での宣教はそうです。
少し前の話ですが、長年未開地で宣教師として仕えて、その働きを終えて船で本国に戻る途中に、一緒に大統領が乗っていました。
港に着くと、人だかりが出来て、大統領を迎えました。
宣教師は、誰にも見向きもされずに、一人港に立ちました。
疲れがどーっと出て来て、悲しみと怒りを感じました。
その時神様が、「宣教師の働きを終えても、あなたの人生はまだ終わっていない。あなたが天国に帰って来る時には、大統領を迎えるのにはるかに勝る歓迎であなたを迎える」と言われたそうです。
この世で報いられることがあったら、感謝し、神に栄光を帰したら良いですが、そこに浸り、満足してしまってはいけないと思います。
反対に、この世で何一つ報いられることはなくても、そこで、悲しみ、怒り、失望、落胆してしまってはいけないと思います。
「この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられたので、彼らが私たちと別に全うされるということはなかったのです。こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです」(ヘブル11:39〜12:3)
神は、神に仕える者に報いを用意しておられるのです。
神が喜ばれることを選び取りながら生きていきましょう。
【動画メッセージ】
「楽しいコミュニケーションの秘訣」
https://youtu.be/KraM2ONT5QI
【第40回 オンライン路傍伝道LIVE】
https://youtu.be/X8_rqqTuW1U
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