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2020年11月21日11:00

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夢幻泡影

おとさんが仕事繋がりでもあり長年ゴルフを一緒にしてた仲間が癌にかかりステージ4らしい。この話を聞いたのが先月の半ばあたりでしょうか。今月に入ってまた連絡すると受け、数日前どうしてるのかと携帯に連絡入れてるのを横目で聞いていると

「おかけになった電話は現在使われておりません」

その音声が聞こえた瞬間亡くなったことを理解しました…。
亡くなられた方はうちも何回かご飯に連れて行ってもらったり、おとさんが癌の手術した時見舞いに来てくれたりしたんですよね。病院で会ったのは数年前なんですが、年相応の衰えではなく生気が欠如しているように思えたんですよ。たぶん、その時には癌にかかっていたのかなって。
健康に気を付けていたらしく病院へはよく行かれていたとのこと。それでもステージ4になるまで癌が見つからなかったのはなんともな話ですよね。
おとさん癌の手術連チャンで終わってからは健康的に過ごせるようにうちっちが毎日ご飯作るようにはしてますん。
かかりつけのお医者さんいるのでたまにおとさんを見てもらってますが、いろんな数値が良くなってきてて笑顔で生活しております。
主に魚中心の食生活で、豚、鳥、野菜(玉ねぎやキャベツ)など。お茶は十六茶を飲む感じで。
おでんを作る時も油抜きで4-6時間くらいかけてますからね。特に牛には気を付けてるん。

亡くなったおとさんの友人なんですが、生前一度だけうちに家庭のことを愚痴られたことがありました。奥さんは料理をしない人で常に外食やら出来合いなんだよと苦笑い。
なので、病院へよく行くのはそういうことなのかなとはすぐ思いました。

連絡が取れなくなって慌てたおとさんは他の友人に聞き回ったところ、亡くなったのを知っていたのは1人だけでした。
そして、亡くなってから二週間ほど経っていたんですよね…。
最終的には家庭の事情も色々あるだろうということでそっとしておくことになりました。
ゴルフ仲間の会長さんは何故連絡をよこさなかったのかと怒っていたり、仲が良かった方も訃報を聞き泣き崩れたりしたらしい。
人が亡くなった時、残された人がどう思いどう行動するのか。答えなんてないしとてもデリケートな問題なんだなって。

うちは小さい時大好きだった母が病院のベットで呼吸をしなくなる瞬間まではっきり記憶に刻まれています。
小学生の頃スイミングスクールが終わり迎えにきてくれた母が笑顔で手を差し出してきました。
「もう子供ではないのですよ」と大人ぶって手を繋がなかったんですよね。
何気ないやり取りでしたが、それが元気な母と帰宅する最後のチャンスだったと知るのは、冷たくなった手を握りしめてからでした。
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