mixiユーザー(id:67238120)

2020年11月21日08:37

25 view

●日本の文学 この大いなるモノ

●日本の文学 この大いなるモノ
我々の祖先が培ってきた歴史の中でも文学は一際光っている分野だ。
以前江戸の文化で幾つか書いたけど江戸は色んな物が花開いた時代である。
元禄に代表されるように煌びやかで彩りも鮮やかな文化のルツボであり
熟成された時代。
遊山等や遊戯など枚挙にいとまがない。
文学を見ただけでも以下に上げたものは一部にすぎないほど有る。
ある人は江戸は遊びの文化だとも。


これ以上ないと思うのが 枯れ木を見に行く枯れ木遊山。
これは文化の一番究極ではないかと思う。
わざわざ時間掛けて歩いて行って枯れ木を見て帰ってくる。
こんなアホな事は世界広しと云えども日本人だけ。
そこにワビやサゴを見つけて悦に入っている。
自然を大事にする民族。
ものを創りだしてもそれを廃棄する時に燃やしたカスまで使い切る。
   徘徊  俳諧  灰買い
この3つだけでも違いが解るかな。

●ゆさん【遊山】
野山に、遊びに出掛けること。また、気ばらしに外出すること。
「物見(ものみ)―」
● ゆ‐さん【遊山】 の解説
1 野山に遊びに行くこと。「花を訪ねて遊山に出かける」
2 気晴らしに遊びに出かけること。「物見遊山」
●【遊山の語源・由来】
本来、禅宗の言葉で仏教語であった。
遊山の「遊」は自由に歩き まわること、「山」は寺のことで、修行を終えた後、他山(他の寺)へ修業遍歴の旅をする ことをいった。
転じて、山野の美しい景色を楽しみ、曇りのない心境になることを意味する ようになり、それが一般にも広まり、気晴らしに遊びに出かけたり山野で遊ぶ意味となっ た。
枯れ木遊山などというものは遊山の完結されたものと言われている。

●ものみゆさん【物見遊山】
物見と遊山。見物して遊び歩くこと。

●“花見遊山”の読み方と例文|ふりがな文庫
https://furigana.info/w/花見遊山
以前この辺は花見遊山はなみゆさんの人出で賑にぎわったものだが、そうおもいながら、ひっそりとした木蔭こかげを見やると、老婆と小さな娘がひそひそと弁当をひろげていた。

●湯治(とうじ)   https://ja.wikipedia.org/wiki/湯治
温泉地に長期間(少なくとも一週間以上)滞留して特定の疾病の温泉療養を行う行為である。日帰りや数泊で疲労回復の目的や物見遊山的に行う温泉旅行とは、本来区別すべきである。

●観光 (物見遊山から転送)  https://ja.wikipedia.org/wiki/観光
観光(かんこう)とは、一般には、楽しみを目的とする旅行のことを指す。

●日本文学(にほんぶんがく)とは、日本人が書いた文学、日本で発表された文学、ないしは日本語で書かれた文学作品、もしくはそれらの作品や作家を研究する学問のこと。http://bit.ly/sFlun0
国文学と日本文学との同一性には議論があり、日本文学の定義を何に求めるかについては諸説ある。
言語、発表された地域、文学の形式など多くの要素が考えられる。
日本語を母語としない外国人作家が日本語作品を書くこともあるし、日本人作家が日本語以外の言語で作品を書くこともある。
例えば西脇順三郎は英語と日本語、多和田葉子は日本語とドイツ語の双方で作品を執筆している。
このように国籍や居住地と言語とが一致しない場合もあることを考慮し、日本語文学という呼称が使われることもあるが、この場合伝統的な日本文学に根ざしてきた漢文・漢詩の扱いが微妙になる。
上代(奈良時代まで)・中古(平安時代)・中世(鎌倉時代から安土桃山時代まで)・近世(江戸時代)・近現代(明治維新後)が行われている。
●国文学(こくぶんがく)日本大百科全書(小学館)
わが国の文学、すなわち日本文学のこと。また日本文学を研究する学問をさし広義には国語学をも含む。
●国語学(こくごがく)日本大百科全書(小学館)
国語すなわち日本語について、客観的・体系的な研究を行う文化科学。
日本語学ともいう。
言語学の一部門であるが、国語という言語のもつ特性に伴い、
言語学一般に比べて独特な内容を含んでいる。
一般の言語学と同じく、音韻、文法、語彙(ごい)の部門があるが、
そのほかに文字、文体などの部面が重視される。
また、国語の歴史的研究や方言研究の部門があり、近時はコンピュータの
導入による計量的研究の進展も著しい。
●日本語(にほんご)日本大百科全書(小学館)
主として日本民族により、日本列島において使用され、発達してきた言語の名。日本人は国語とも称する。
その系統・起源としては、北方の言語である「ウラル・アルタイ語族」とする説、南方の言語である「マライ・ポリネシア語族」とする説、その両者が重なり合ったとする説、英語、ペルシア語、インドの言語などを起源とする説など多数あるが、いずれも学界全体の合意を得たものはない。
周辺の言語の古代語の資料が乏しいから、この面の研究の進展は非常に困難であろう。
●民族(みんぞく)日本大百科全書(小学館)ethnic group (民族群; 人種群)
あえて定義すれば、他の集団から区別されるなんらかの文化的共通項を指標として、互いに伝統的に結ばれていると自ら認める人々、もしくは他の人々によってそのように認められる人々、といえる。
この場合、文化的指標とは土地、血縁、言語などの共有意識や、宗教、神話・世界観、社会組織、経済生活、その他の生活様式のあらゆる領域のなかから、当該の人々にとって意味のある指標として選択される多様な基準を意味する。
学術上、人種は人間の身体的特徴を基準にした人間範疇(はんちゅう)設定の試みであるのに対し、民族は基本的に、文化的特徴を指標にした人間範疇であるとして区別されるが、民族観念も人種観念も、いずれも人間による人間自身の分類行為の一つであり、それ自体が文化の所産にほかならないということを忘れてはならない。


●「江戸文学の世界―江戸戯作と庶民文化」:江戸文学作品って形態も魅力的で内容も面白そう!
https://ameblo.jp/shonan5333/entry-12183982627.html
2016-07-25
http://museum.kokugakuin.ac.jp/special_exhibition/detail/2016_manabi.html
國學院大學博物館にて開催中の「江戸文学の世界ー江戸戯作と庶民文化ー」の内覧会に」参加したのでレポートいたします。なお、掲載の写真は主催者の許可を得て撮影したものです。
さて、江戸時代の文学については教科書程度の知識しかない私でしたが、結論から言えば、とても面白かったです。國學院大學文学部准教授中村正明さんの解説がわかりやすくてこれを契機にこれまで縁の薄かった江戸文学を読んでみたくなりました。これから行かれる方は中村さんが書かれたリーフレットを参照しながら展示物を鑑賞することをオススメします。
 
●日本の近世文学史(にほんのきんせぶんがくし)では、江戸時代(近世)の日本文学の歴史を述べる。
http://bit.ly/ryR3mI
日本の近世文学は江戸中期の享保年間(1716年 - 1735年)を境目に大きく前後半に区分される。
江戸前期はそれまでの文化的中心地であった上方を中心とした文芸が栄え、江中後期には都市の発達に伴い江戸を中心に町人文化・出版文化が成立し、江戸を中心とする文芸が栄えた。
・前期
お伽草子の流れを汲み仮名草子や井原西鶴らによる浮世草子がうまれた。
16世紀に入って急速に成長した浄瑠璃の世界では、人形を加えた人形浄瑠璃用に近松門左衛門が戯曲を書き人気を博した。松永貞徳らにより栄えた俳諧は、後に松尾芭蕉が現れ表現として大成させた。
・後期
後期には俳諧の与謝蕪村、小林一茶らが活躍した。上田秋成の『雨月物語』や曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』といった読本が書かれ、庶民向けの娯楽として赤本・青本などの草双紙が出版され、広く読まれた。
人形浄瑠璃に押されていた歌舞伎は、鶴屋南北や河竹黙阿弥等の戯曲を得て、人気の回復に成功した。
 
●出版(しゅっぱん)とは、販売・頒布する目的で文書や図画を複製し、これを書籍や雑誌の形態で発行することで、上梓(じょうし)、板行(はんこう)とも呼ばれる。http://bit.ly/vHy0co
上梓の「梓(し)」とは、カバノキ科のアズサのことではなくノウゼンカズラ科のキササゲのことで、古く中国で木版印刷の版材にキササゲが用いられたことに基づく。
書籍や雑誌など出版されたものを出版物と呼び、出版を事業とする企業を出版社と呼ぶ。
出版(複製)は一般に印刷によって行われる。新聞も同様の方法で発行されるが、流通経路が異なり、普通は出版とは呼ばない。
ただし、現在ほとんどの新聞社(またはそのグループ会社)では雑誌、書籍の出版も手がけている。
出版(書籍、雑誌)は新聞やラジオ、テレビに比べて情報伝達の速報性などの点で劣っているが、一方で正確性、蓄積性などに優れたメディアである。
戦国時代にキリシタン版と呼ばれる活版印刷が行われ、また朝鮮半島から印刷技術が伝えられたのが刺激となって、江戸時代初期には「古活字本」が作られるようになる。古活字本の一つとして「嵯峨本」が有名である。
●写本(しゃほん、Manuscript)とは、手書きで複製された本や文書、またはその行為そのものを指して示す用語。
時に、原本(オリジナル)である正本(しょうほん・せいほん)と対応させて、それを書き写した書写本であることを強調するために用いられることもある。http://bit.ly/uZMDAl
写本では、筆写の過程でしばしば誤読、誤字脱字、付け加えなどが生じ易い。
これらは原典を正確に伝承するという意味では瑕となるが、一方で写本がどのように伝わっていったかを系統立てて考察し、その背景にある文化的特性を検証する素材ともなる。
 
●仮名草子(かなぞうし)http://bit.ly/szcdd7
江戸時代初期に仮名、もしくは仮名交じり文で書かれた、近世文学における物語・実用的な文章を総称したもの。
御伽草子の延長に生まれ、仮名を用いた庶民向けの読み物として出版され、雑多な分野を含む。
作者の多くは当時の知識人層であり、浅井了意、鈴木正三(しょうさん)、烏丸光広らが知られている。
仮名草子の中から井原西鶴による『好色一代男』などの優れた文芸が著されるようになり、これは後に浮世草子と区別して呼ばれるようになる。
啓蒙的な内容のものが多い。
儒教的な教訓を含んだ物語や説話集、笑話のほか、名所案内記、また野郎評判記、遊女評判記のように実用的なガイドブックとして読まれたものもある。
   
●浮世草子(うきよぞうし)は、江戸時代に生まれた前期近世文学の主要な文芸形式のひとつ。浮世本。
http://bit.ly/sKUoye
井原西鶴の『好色一代男』(1682年刊行)以降の一連の作品を、それまでの仮名草子とは一線を画するものとして、今日では浮世草子と呼ぶ(当時は「草双紙」と呼ばれ、「仮名草子」・「浮世草子」はのちになって区別されたもの)。
元禄期、大坂を中心に流行し、民衆生活の幅広い主題を扱って多くの作品が書かれた(浮世には世間一般という意味と、色事、好色といった意味がある)。
京都の八文字屋から出版されたものは特に「八文字屋本(はちもんじやぼん)」と呼び、元禄から18世紀中頃の明和期まで刊行された。

創始者と言える西鶴の業績が最も著名であり、江島其磧の『世間子息気質』『世間娘容姿』など一部を除き、後に続いた作品に有名なものは少ない。
 
●戯曲(ぎきょく)は、演劇の上演のために執筆された脚本や、上演台本のかたちで執筆された文学作品。http://bit.ly/uCOg9c
 
●俳諧(はいかい)とは、主に江戸時代に栄えた日本文学の形式、また、その作品のこと。http://bit.ly/tD5G6S
誹諧とも表記する。正しくは俳諧の連歌あるいは俳諧連歌と呼び、正統の連歌から分岐して、遊戯性を高めた集団文芸であり、発句や連句といった形式の総称である。
松尾芭蕉の登場により冒頭の発句の独立性が高まり、発句のみを鑑賞する事も多く行われるようになり、明治時代に成立した俳句の源流となる。
時に作者個人の創作たる発句を完全に独立させた近代文芸の俳句と同一視される。
専門的に俳諧に携わるひとを「俳諧師」と呼ぶ。
江戸期においては専業のいわゆる「業俳」が俳諧師と呼ばれていた。
本業があって趣味として俳諧を楽しむ人は「遊俳」と呼ばれ、遊俳は俳諧師とは呼ばれない。
 
●国学(こくがく、正字・國學)は、日本の江戸時代中期に勃興した学問である。http://bit.ly/sThBys
蘭学と並び江戸時代を代表する学問の一つで、和学・皇朝学・古学(古道学)などの別名がある。
 
●草双紙 - Wikipedia http://bit.ly/tGRYlY
江戸時代中頃から江戸で出版された絵入り娯楽本、赤本・黒本・青本・黄表紙・合巻を、草双紙(くさぞうし)と総称した。
この「草」は、草競馬・草相撲・草野球などの「草」とおなじ「一般の〜」という意味合いを含むものである。絵草紙(えぞうし)・絵双紙(えぞうし)・絵本(えほん)とも呼んだ。
各頁の挿画の余白に平仮名の説明を添え、童話から始まり、次第に成人向けに進化した。江戸の大衆本・江戸地本の中心を占めた。
 
●読本 - Wikipedia http://bit.ly/vmO4yM
読本(よみほん)は、江戸時代後期に流行した伝奇小説。
寛政の改革以降流行し、文化文政の頃全盛となり、明治になっても活字本として流布し読み継がれた。
草双紙が平仮名ばかりで書かれた一般読者相手の平易な読物であれば、読本(よみほん)は漢字本位の上級読者層を狙った伝記時代小説。
●小咄本(こばなしぼん) とは - コトバンク デジタル大辞泉の解説.
江戸を中心に明和・安永(1764〜1781)ごろに盛んに刊行された、小咄を編集した本。
落語の原話が多く載る。
【小話/小咄/小噺】(こばなしぼん) とは - コトバンク デジタル大辞泉の解説.
気のきいた短い話。
一口話(ひとくちばなし)。
また、短い落語や落語のまくらに用いる笑話。
 
●洒落本 - Wikipedia http://bit.ly/unsHPl
洒落本(しゃれぼん)とは、江戸時代中期の戯作の一種である文学。半紙四分の一大の小型の判型で「こんにゃく本」とも呼ばれた。
遊所(遊廓など)での遊びについて書かれたものがほとんどで、粋(いき)を理想とし、遊女と客の駆け引きを描写したり、野暮な客を笑いのめした内容が主であり、話を楽しむためだけでなく、実用的な遊び方指南や一種のガイド本として読まれた。
もとは仮名草子の遊女評判記の類や、井原西鶴らの浮世草子にある遊里の描写がルーツであるが、洒落本の元祖と目されるのは享保年間出版の『両巴巵言(りょうはしげん)』(1728年)、『史林残花』で、漢文体で江戸・吉原の風俗を滑稽に描いたものである。
のちには俗語の会話体を主としたものに変わっていった。
无々道人(漢学者沢田東江の変名)の『異素六帖』(1757年)は仏者、歌学者、儒者の3人が色の道や遊里について面白おかしく議論するという内容である。
 
●瓦版 - Wikipedia http://bit.ly/v4gxRI
瓦版(かわらばん)は、江戸時代、天変地異や大火、心中など時事性の高いニュースを速報性を以って伝えた情報紙のこと。
妖怪出現など(例として大猫参照)、娯楽志向のガセネタもある。街頭で読み上げながら売り歩いたことから、読売(讀賣)ともいう。木版摺りが一般的。
また、多くは一枚摺り。絵入りのものなどもあり、幕末期には多く出版された。
明治初期までは出版される事があったというが、その後は新聞の登場などにより衰退した。
現存する最古の瓦版は大坂の陣を記事としたものである。
瓦版の語源は以下のように諸説あるがはっきりしていない。
・粘土板を用いて刷ったかのような粗悪な出来栄えである
・紙の大きさが瓦と同じくらいである
・河原者が作った
現在では、掲示板の意で用いられることもある。
 
●随筆(エッセイから転送)  https://ja.wikipedia.org/wiki/随筆
随筆(ずいひつ)とは、文学における一形式で、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文である。随想(ずいそう)、エッセイ、エッセー(仏: essai, 英: essay)などともいう。「essai」の原義は「試み」であり、「試論(試みの論文)」という意味を経て文学ジャンルとなった。
ミシェル・ド・モンテーニュの『エセー』(1580年)がこのジャンルの先駆者であり、欧米においては綿密な思索を基にした論文的なスタイルを念頭に置いてこの語を用いることがあるが、日本においては後述する江戸時代後期の日記的随筆のイメージもあって、もうすこし気楽な漫筆・漫文のスタイルを指して用いることがある。
 
●エセー    https://ja.wikipedia.org/wiki/エセー
『随想録』(ずいそうろく)もしくは『エセー』(仏: Les Essais)は、フランスのモラリスト、ミシェル・ド・モンテーニュが107の随筆を集めて1580年に刊行した書物である。モンテーニュは随筆(エッセイ、エセー)という、特定の話題に関する主観的な短い文章の形式を発明したのであり、この書物はそのエセーを収めている。人間のあらゆる営為を断続的な文章で省察することによりモンテーニュは人間そのものを率直に記述しようとし、モラリスト文学の伝統を開いた。フランス語のessaiは「試み」や「企て」という意味である。
 
●人情本   https://ja.wikipedia.org/wiki/人情本
江戸の地本のうち、庶民の色恋をテーマにした読み物の呼び名。江戸時代後期の文政年間から行われ、天保年間を最盛期として、明治初年まで流通した写実的風俗小説。女性に多く読まれた。代表的作者は為永春水。
 
●滑稽本 - Wikipedia http://bit.ly/uDJ8aA
滑稽本(こっけいぼん)は、江戸時代後期の戯作の一種。読本や草双紙とともに、俗文学の一種。
談義本を継いで生まれたおかしみのある話。
物語性を重視し漢語がちりばめられた読本に比べ、滑稽本は会話文を主体とした平易な文章で、単純な言葉の引っかけや常識から逸脱した言動、下ネタなどで大衆的な読者の笑いを誘う。
半紙本で比較的高価な読本に対し滑稽本は中本で廉価なものが多く、読本ほどの漢語知識と構成力は必要とされないため仲間内で趣味的に作られることも多く、地方でも独自に出版された。
当時の落語と相互に影響を与え、滑稽本に書かれた話が落とし話として演じられることもあった。
 
●戯作 - Wikipedia    https://ja.wikipedia.org/wiki/戯作
戯作(げさく、ぎさく、けさく、きさく)とは、近世後期、18世紀後半頃から江戸で興った通俗小説などの読み物の総称。戯れ(たわむれ)に書かれたものの意。明治初期まで書かれた。戯作の著者を戯作者という。
種類
戯作は、洒落本、滑稽本、談義本、人情本、読本、草双紙などに大きく分けられる。 さらに草双紙は内容や形態によって赤本、黒本、青本、黄表紙、合巻に分けられる。
 
●戯れ(たわむれ)の意味や読み方 Weblio辞書
じゃれ【▽戯れ】 《「ざれ」の音変化》ふざけること。 また、ふざけて言うこと。 冗談。
 
●たわむ・れる〔たはむれる〕【戯れる】デジタル大辞泉
[動ラ下一][文]たはむ・る[ラ下二]
1 遊び興じる。何かを相手にして、おもしろがって遊ぶ。
  「子犬が―・れる」「波と―・れる」
2 ふざける。また、冗談を言う。「人をからかって―・れる」
3 みだらなことをする。また、男女がいちゃつく。「女に―・れる」
 
●ざ・れる【▽戯れる】
[動ラ下一][文]ざ・る[ラ下二]《古くは「さる」とも》
1 ふざける。たわむれる。「男女が―・れる」
2 趣がある。しゃれている。風流である。
「さすがに―・れたる遣戸口に」〈源・夕顔〉
3 世慣れている。気がきく。
「かくて待ちけると思ふも、―・れてをかしければ」〈落窪・一〉
 
●戯れ(読み)ザレ
▽戯れじゃれたわぶれ〔たはぶれ〕たわむれ〔たはむれ〕たわれ〔たはれ〕
デジタル大辞泉の解説
ふざけること。たわむれること。じゃれ。
「戯れも昂(こう)ずれば喧嘩(けんか)になる」
《「ざれ」の音変化》
ふざけること。また、ふざけて言うこと。冗談。ざれごと。
「今のは何も皆―ぢゃ」〈浄・堀川波鼓〉
「たわむれ」に同じ。
「―にものたまふべきことにあらず」〈宇津保・俊蔭〉
1 遊び興じること。遊戯。
2 ふざけること。冗談。また、本気ではなくて、遊び半分なこと。「戯れに文章を綴る」「戯れの恋」
3 男女がいちゃつくこと。
遊ぶこと。放蕩すること。たわむれ。
「年の若き折―せむ」〈梁塵秘抄・二〉
 
●書物屋と浄瑠璃本屋 書物の大衆化  2012年 和本で見る書物史
http://www.book-seishindo.jp/2012_tanq/tanq_2012A-10.pdf
第10回草紙から見た書物の大衆化 橋口 侯之介(こうのすけ)
和本入門 pp66-88
浄瑠璃本屋が発展していく
江戸時代の草紙は、浄瑠璃を本にするところから始まった。
初期の浄瑠璃はお伽草子などの中世の語り芸の系譜を引いた題材を、操り人形と三味線で演じた。
その語りの部分を絵入りの本にしたのが江戸時代前半の浄瑠璃本である。
正本(しょうほん)ともいう。
近松門左衛門などによる書き下ろしの作品が出てくる元禄以降と区別して「古浄瑠璃」という。
浄瑠璃本屋は始め京都にでき、やがて江戸にもあらわれる。
小ぶりな中本サイズで、安めにつくられた。
近松門左衛門が活躍した大坂では遅れて出現するが、その出版権を独占したので一時は大きな勢力を持った。
この本屋を別名・草紙屋ともいい、やがて浄瑠璃以外の大衆本の世界を築き上げていく。
 
●橋口 侯之介  明治大学リバティアカデミー 講義概要 2011年7月15日
http://www.book-seishindo.jp/essay/meiji_110715.pdf
新版・ゆっくり学ぶ江戸の古文書 和本の世界2
江戸・世界に冠たる出版王国を支えたもの.
・江戸時代の出版量
145 万点の和本データベース「日本古典籍総合目録」から成立年代の明確な 10点を年代別に集計(『続和本入門』から)。なだらかな線は、近似曲線。傾向をあらわす
・商業出版の成立
物之本とは、現代でいえば古典や学術書・専門書、宗教書のような硬派の本のこと。まず17世紀の江戸時代前期はこの分野で本屋が成り立った。 『伊勢物語』や『源氏物語』などの古典作品は、江戸時代に版本として商業出版されたことから幅広い層に広がり、一般に普及した。その役割は一部の専門家(文字を読み書きできる者〈リテラシー〉)だけを対象とするのでなく、その入門者にまで層を広げたことにあった。この人たちを「中間的文化層」とか「中間読書人」といって注目されている。


0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する