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2020年11月18日19:21

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セクハラ

その昔 漫才師のハイヒールのモモコさんが
以下のようなことを仰っておられました

「この人にされたらセクハラじゃないけど あの人にされたらセクハラだ」
と女性が主張している限り セクハラは無くなる事はない

もう四半世紀前の言葉です

四半世紀経過した 今の日本で
「男性専用車両を作ってくれ 痴漢冤罪が恐ろしい」
「そんなの作っても 女性は『何それw』で普通に入ってくるから なんの解決にもならない」
と言う堂々巡りの議論が続いて
未だに男性専用車両すら実現できていない

「動かせない現実」

を 考えてみてください

例えば 嫌煙

私自身が大学時代にバイトしていた学習塾では
「講師室は全面喫煙可 但し○○先生(妊婦さん)が居る時は禁煙」
と言うルールでしたが
全員 ルール以前に その先生が講師室に入ってきた瞬間に
慌ててタバコを消して みんなで一斉に換気に入って みんなでその先生とお腹の赤ちゃんを守ろうとしていました

その先生が
「そこまでせんかってもよかとよ(^^) どうせうちの亭主はタバコ吸ってるし(^^)」
と何度言っても
みんな一所懸命 その先生とお腹の赤ちゃんを守ろうとした
「良心」

私が数年前まで住んでいた所の人気居酒屋さんで
妊婦さんや子供連れのご家族が入ってきた瞬間に
みんな瞬時にタバコの火を消して
お母さんがトイレに行っている間は その周りのおっちゃんおばちゃんが
みんなで子供の面倒を見ていて
赤ちゃんがうんちしちゃったら みんなで祝福して
ええ感じのおっちゃんが赤ちゃんを見て
「ボウズ(^^) えらいええモンくっつけてんな(^^) 将来ええ男になるで(^^)」
ってな感じで
「子供は みんなの宝物」
と言う「良心」が「共有」されている「社会」

そんな「良心」に基づいている社会と

その人が喫煙者で 自分から喫煙室に入って来ながら
「あんたがタバコ吸ってるのが私には不快」
と「言ったモン勝ち」の社会



私は「良心」に委ねる社会の方が 健康的な社会だと 信じます

要は
「不心得者は容赦しない 不心得者の『定義』は 人によって変わる恣意的なものではない」
社会の実現が必要なのであって

そのためには
「恣意的」
を 全て「否」とする

「過程」

が必要なのではないでしょうか…










議論になっていた「マルちゃん正麺」PR漫画が公開再開へ
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=6310872
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