mixiユーザー(id:17197037)

2020年10月12日23:44

133 view

同人誌の母と、父なる印刷会社と

2020年10月上旬、残念なニュースが相次いで飛び込んで来た。一つは、「赤ブーブー通信社」こと「ケイ・コーポレーション」の創立者、田中圭子・女史の訃報と、コミックマーケットのカタログを40年以上長きに渡って印刷するなど関係を気づきあげた、同人向け印刷会社の老舗・共信印刷の解散(発表)

前者の「赤ブー」創立者について、いくつか
80年代、千葉県市川の印刷会社「曳航社」(現存)を立ち上げた(専務取締役)の旧姓・赤桐圭子は、「キャプテン翼」ブームに乗っかって、1986年に「Wingマーケット」を、企画・開催にあたり、(サークル名だった)「赤ブーブー通信社」を対外営業に使用(営業名)。後に法人化されて
有限会社。会場は、主にTRC東京流通センター(平和島)で1989年は、2000サークル規模で2ヶ月に一回と高頻度。女性限定、ジャンルも「キャプつば」「星矢」「トルーパー」「銀英伝」「魔王伝」の、当時特に人気の高かったものに限られる。
この成功は、曳航社から独立、さらに新宿区(四谷地区)
若葉(文化放送旧社屋の近く)に、「シティプラザ」なる同人ショップを兼ねた、「株式会社 ケイ・コーポレーション」の新本社を建てるほどであった。

もう一つ、「Comic City」について。
1987年のTRCでの「印刷会社合同主催同人誌即売会」
これは、当時の関東で営業していた、同人誌印刷会社の合同で、曳航社、共信印刷のほか、ナール印刷、緑陽社、しまや出版、創造出版、日光企画、東京文芸出版の合同でオールジャンル即売会が開かれたものの、その9社の印刷物しか頒布できない条件があって、評判が悪かった。
その反省もあってか、1988年、新たな名前「コミックシティの名で再出発。ところが、この開催は、「赤ブーブー」と「東京文芸」との二社が主導権を巡って、なんと10年間も異なる「コミックシティ」が並立してしまう。
始め数年間は、「赤ブー」と「文芸」の会場や開催都市、日程は調整されて、「スーパーコミックシティ」でも、協力体制がとれていた。しかし、後に対立競合に変化して、
東京文芸が名古屋に移転し名古屋国際展示場でのイベント開催に特化。赤ブーが大阪・神戸開催が定着(「そうさく畑」武田圭史・氏をスカウトしたことも大きいし、他地域からも、赤ブーは地方即売会スタッフ経験者を集めたと伝え聞く)して盤石な体制を固めつつあった一方、1994年10月の幕張メッセでの開催中止(千葉県青少年育成条例に抵触する同人誌頒布があるとされる)事件で他の同人誌即売会関係者の非難を浴びてしまう。この時、「企業系即売会」との言葉が、コミケットカタログでの文面を賑わせた。つまり、印刷会社や、(派生した)イベント企画会社の主催によるもので、コミックマーケットとは、意義が異なる似て非なるもの、といた批判的意味合いも感じられる
結果として、「赤ブーブー」イベントからは、男性向け同人誌サークルは、ほとんど消えた。

1998年に東京文芸出版は、破産。末期には、川崎市(当時)のスクリーントーンなど画材販売会社の、エスイー主催の「コミックワールド」と合同開催の形だったという。


昔話になってしまったが……



感染症「COVID-19」の流行で、5月開催予定の「コミックマーケット98」が中止となったことは記憶に新しい。
一方で「DOUJIN JAPAN 2020」の形で、この回は、コミケット準備会のみならず、赤ブーブー通信社を始め他の開催団体の協力も期待されていたのだが…

残念ながら赤桐(田中)氏に関する文献は、少なく、インタビューされて本になったのが「おたくの本」(1989年JICC出版局〜現・宝島社)しか手元にない。
他にも2010年代に詳しい書名が不明だが、「同人の母
インタビュー」の本があるらしい。

通称「同人誌の母」
1990年代の「赤ブーブー通信社」カタログの挿絵〜豚耳のパーマと眼鏡に細眼の、赤桐氏がモデルのキャラクターが、脳裏をよぎる私であった

もう一つ、1997年「さよなら晴海!コミケットスペシャル」で、東館ドーム上に登るDr,モロー、デザインのキャラ「共信マン」の着ぐるみも、思いだす

さよなら、同人誌の母
さよなら、父なる印刷会社よ

0 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する