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2020年10月12日00:34

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https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/18615

 二度目となる「大阪都構想」の住民投票が11月1日に予定されている。この「都構想」は、2015年5月に当時の橋下徹大阪市長が実施した住民投票で反対が過半数を占めたため廃案となり、橋下市長が政界から退場。だが、同じく大阪維新の会の松井一郎大阪市長、吉村洋文大阪府知事が再チャレンジし、「勝つまでジャンケン」の様相となっている。大阪では世論が二分している「大阪都構想」だが、大阪市民や府民以外にとってはその中身はあまり知られていない。政財界や商業メディアにも補完されながら執拗に世論誘導がくり返される「都構想」はなにを目的に、現状をどのように変化させるものなのか。その内実について見てみたい。



 大阪市と大阪府が推進する「大阪都構想」の具体的な中身は、現在の大阪市(人口275万人)を廃止し、四つの特別区に分割再編するというもの。構想の正式名称は「特別区設置協定書」であり、今回の住民投票で有権者に問われるのは、大阪府を「大阪都」にすることではなく、「大阪市を廃止し、四つの特別区を設置する」ことの是非である。大阪府の名称を「大阪都」にするには、地方自治法や大都市地域特別区設置法の改定や特別法の制定を必要とすることから別次元の話となるため、あくまで大阪市内部の行政改革といえる。住民投票で賛成が上回れば、4年後の2025年1月1日から大阪市にかわる四つの特別区が設置されることになる【地図参照】。

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 都構想の実現を目的に橋下徹が立ち上げた「維新の会」(現・大阪維新の会)は、歴代の大阪府知事と大阪市長が対立し、「政治家、役人の意地の張り合い」で非効率な税金の投資をくり返してきた「二重行政」の解消をメインテーマとし、大阪市を分割して、それを大阪府に統合することで無駄を削減し「都市間競争に勝ち抜く副首都大阪をつくる」と主張してきた。



 ただ、この行政改革構想は目新しいものではなく、大阪では1953年に府議会が決議した「大阪産業都構想」に始まり、近年では「大阪新都構想」(2004年)「二府四県の関西州構想」など、関西圏の財界の意向を背景に何度も浮かんでは消えてきたものだ。



 あいつぐ製造業の工場閉鎖に加え、リーマン・ショックで大阪の経済的な疲弊が進むなか、自民党や民主党などの既存政党への批判世論を吸収する形で「維新」が登場し、「大阪が変わるチャンス!」と改革を叫びながら、自律性が高い大阪市を解体して大阪府に統合させるための役回りを担ってきた。



 地域政党ながら当初から国政選挙に数百人もの候補者を擁立できるほどの財政力を持ち、メディアにもてはやされるのは、背後で財界が支えていることの証左にほかならない。



権限も金もむしりとる



 では、「都構想」によって本当に「二重行政」が解消され、住民サービスが向上し、大阪市が現状よりも成長・発展することができるのか。



 「大阪都構想」の最大の眼目は、「府・市の対立関係の解消」といいながら、大阪府が大阪市を吸収し、「司令塔を知事に一本化する」ことにある。橋下府知事(当時)自身、都構想の目的について「大阪市が持っている権限、力、お金をむしりとる」(2011年)とのべている。政令指定都市である大阪市から府にもの申す権限を奪い取ってしまうのだから二重行政(府市対立)はなくなるというロジックだ。それは現在の大阪市の自治権を縮小させ、府の集権的体制をつくりあげることであり、分権化の流れとは逆方向といえる。

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 「特別区設置協定書」では、2025年1月に大阪市を廃止し、現在ある24の行政区を「淀川区」「北区」「中央区」「天王寺区」の4つの特別区に分割、大阪市長ならびに大阪市議会を廃止し、各特別区に区長・区議会を設置するとしている。政令指定都市として都道府県と同レベルの財源と権限をもっていた大阪市は消滅し、一般市以下の特別区を大阪府が統括することになる【図参照】。



 政令市である現在の大阪市には8600億円の自主財源があるが、特別区の自主財源は約2500億円に激減する。6000億円は大阪府に入り、そこから4000億円が特別区に振り分けられるが、残りの2000億円は大阪府の一般財源に入り、より広域な事業に使われる。特別区のために国が配分する地方交付税交付金も大阪府を迂回することになり、その一部(約24%)を府が召し上げる。



 大阪市の自主財源の大半を占める市税収入(6600億円)には、個人市民税、市タバコ税、軽自動車税、固定資産税、法人市民税、都市計画税、事務所税の7項目があるが、このうち特別区の自主財源になるのは個人市民税、区タバコ税、軽自動車税の3つだけで合計1782億円。現行の市税収入の4分の1に減り、残りの4分の3は府税に組み込まれる。



 政令指定都市は、道府県から権限・財源の一部が移譲され、道路整備、都市計画、教育などでより地域の実情に合わせたサービス提供やまちづくりをすることができるため、全国の主要都市がこぞって移行を目指してきた。上部団体である道府県を通さずに国に直接アクセスできるため、施策決定のスピードが増す大きなメリットがあるからだ。



 だが「都構想」は、逆にその権限を手放す。大阪市が巨大な自主財源とともに大阪府に譲り渡す権限は、高等学校、大学、特別支援学校、精神保健福祉センター、道路、港湾、河川、公園、上水道や公共下水道の整備・管理運営、成長分野の企業支援、都市計画決定、消防に関する事務、上下水道、電気ガス供給施設、産業廃棄物処理施設、市場整備など多岐にわたる。



 4つの特別区役所にそれぞれ公選制の区長、区議会を置くことで「より身近な仕事について民意を届けやすくなる」としているが、特別区は地方自治法で普通地方公共団体である市町村に準ずる団体と位置づけられており、市町村にある都市計画の決定権すらない。住民の民意が届いたところで、その財源や権限は極めて小さい。1889(明治22)年の市制施行から130年かけて培ってきた大阪市としての権限を返上し、一般市以下のいわば「個人商店」から出直すことを意味している。



 現実に、唯一の特別区である東京23区の区長で構成する特別区協議会は「都区制度の廃止」を主張している。本来ならば市町村税として、住民に最も身近な行政を担う特別区に入るべき税金が、都税として吸い上げられて他の事業に流用されているため、特別区の財政がやせ細って自治権が発揮できず、そのあげく特別区間での財政調整をめぐる争いや住民間での負担増、歳出減の押し付け合いに終始する結果になっていることが背景にある。



 都区制度を模倣する「大阪都構想」でも、大企業が集中する中央区や北区などの特別区と、その他の区との間で財政力に大きな格差が生じるため、福祉や住民サービスの均等を保つことが必要になる。さらに、これまで大阪市として一つにまとまっていた行政を無理矢理に4分割するために「割れない仕事」が発生し、それを各区が資金を出して「一部事務組合」(管理者や議員を各特別区の区長・区議から選出。職員300人)なる組織を置いて協議し、共同管理することになっている。



 組合が担う業務は、介護保険事業、情報システム管理、福祉施設の管理、体育館など市民利用施設の管理など151項目(東京都の場合は5つ)にも膨れあがっており、そこに住民の意志決定権はない。市長というリーダーが存在せず、府から与えられる限られた財源の中で、利害対立関係に置かれる4区の合意調整は「大阪市vs大阪府」の場合よりも難しくなることが予想され、現実には「二重行政の解消」どころか、大阪府、一部事務組合、特別区の「三重行政」になる可能性が現実味を帯びている。



 内容が明らかになるにつれ、当初、橋下元府知事や松井現市長が「年間4000億円の財源が浮く」と主張してきた二重行政解消による経済効果は、2013年に大阪府市がおこなった制度設計案では979億円となり、翌14年の試算では155億円にまで激減した。その数字のなかにも二重行政の解消とは無関係の項目(市民サービスの削減、地下鉄やゴミ収集の民営化などによる節約)が含まれていたため、さらに厳密に試算すると1億円にもならないことが大阪市役所の推計値として議会で報告されている。府議会では、特別区設置のための初期投資費用(約600億円)を勘案すれば、年平均13億円の赤字になることが指摘され、それまで「経済効率が都構想のすべて」と主張していた橋下元市長は「価値観を財政効果に置いていない」と発言を覆すに至った。



 ただでさえ3万6500人の巨大組織である大阪市役所の機能を、大阪府と特別区に引き継ぐには数年を要する膨大な行政コストがかかる。しかも現在、未曾有のコロナ禍で医療、公衆衛生、住民生活、経済対策の多岐にわたる災害対応業務が現場にのしかかり、住民保護にマンパワーを注がなければならないときに、市職員らは組織の解体と消滅のために全力を投入しなければならないという悪夢のような事態に晒(さら)されている。



先行する東京都の実例



 無駄の解消すらできない「大阪都構想」の行く末は、すでに都区制度を敷いている東京都の先例を見れば明らかとなっている。



 かつての東京府で人口の7割が集中していた東京市(現在の23区)は、1943(昭和18)年に廃止され、新生・東京都の行政区に組み込まれた。それは、中央政府が発言力の強い基礎自治体から富と権限をむしりとり、戦時体制の一元的な指揮系統に従わせることが最大の目的だった。



 当時の東京市は政府の「東京都制案」に反対したが、当時の帝国議会によって強制的に都の行政区に格下げされ、終戦後の1947年に再編されて23の特別区になった。ところが、特別区は東京都の「内部的団体」と位置づけられ、「憲法で定める地方公共団体にはあたらない」と解される脆弱な立場であり、戦後の長い自治権拡充運動をへて、ようやく2000(平成12)年に「基礎的な地方公共団体」と規定された経緯がある。



 しかし公選制の区長、区議会があるにもかかわらず、まちづくり(都市計画)の決定権はなく、固定資産税や法人住民税、都市計画税など特別区の税収は、すべて東京都が徴税する。そのうち各区の状況に応じて分配されるのは約半分で、その他の1兆円をこえる税収が都の事業に流用されている。しかも、国が地方公共団体に配分する地方交付税交付金は、特別区の場合は「23区全体で黒字」であれば、単一の区が赤字であっても交付されない建て付けになっている。つまり、都区制度の下では、区の黒字分は他の区の赤字補てんに使われることになり、特別区の財政はますます目減りする。



 国にとっては、赤字である特別区の財政支援をする義務から解放され、各区の「自助、共助」に丸投げできる都合のいい制度となっている。



 そのため日本一豊かな財政を持つはずの東京都の各区事情を見ると、保育園の待機幼児や待機児童、特養の待機者は全国トップであり、これらの施策に使う財源が不足しているにもかかわらず、都内では大規模な再開発や五輪事業、道路鉄道のインフラ整備、臨海部の開発など巨大事業が目白押しとなっている。



 住民の自治権を切り離してバラバラにし、「公助」を最低限に切り縮め、「広域行政」と称して巨大な権限や財源を確保した東京都が、財界や外資が望む大規模な都市改造を好き放題に進めるという体制といえる。



 「大阪市で使っていたお金は、今後も4特別区のために使う」という議論もあるが、大阪市長も市会も廃止するため、その配分の決定権を握るのは府知事と府議会になる。東京23区が東京都人口の7割を擁しているのに比べ、大阪市(4特別区)の大阪府における人口比率は3割に過ぎず、多勢に無勢となる。市廃止によって現在の大阪市民は限りなく自治権が縮小することが明らかとなっている。



万博やカジノに散財



 大阪の行政トップを握る「維新の会」が標榜するのは「小さな政府」であり、公助を徹底的に削減すると同時に、自助努力と市場競争を煽る新自由主義政策にほかならない。それは東京や国に対抗するような格好を取りながら登場したが、アメリカが日本に要求してきた構造改革の実行であり、TPPや規制緩和、郵政民営化などの延長線上にあるものだ。



 既得権や二重行政などを問題にする一方、それを生み出した根源である政治の腐敗に斬り込むことはなく、現実に大ナタをふるったのは住民生活や社会的弱者を守るための社会的規制や行政サービスだった。そのため国政におけるスタンスは実質与党であり、自民党との蜜月ぶりは、「首相案件」として国有地を不当に払い下げ、公文書改ざんにまで行き着いた森友学園の学校建設計画に「大阪維新」が大きく貢献したことでも暴露され、「同じ穴のムジナ」であることが明るみに出た。



 都構想においても「単なる府市統合では非効率」として、地下鉄、バス事業、空港、水道、大学、病院、文化施設、研究機関、ゴミ収集、下水道などの現業部門は民営化(別法人化)して「自律経営に転換する」、つまり公共から切り離すことを宣言し、すでに図書館、府立病院、大学、学校など多岐にわたる統廃合・民営化に着手してきた。「既得権益の打破」といいながら実行してきたことは、行政機構をはじめとする日本社会そのものをぶっ潰し、住民サービスをないがしろにしながら、外資や大企業にとっての天国をつくり出すための露払いであり、小泉改革やアベノミクスの二番煎じでしかないことがすでに広範に暴露されている。



 市民に対しては「大阪の成長を止めるな!」「大企業が潤えば、住民も潤う」というトリクルダウン論を振りまきながら、次々と公共施設や住民サービスが縮小し、ついには大阪市自体がなくなるという事態に直面している。大阪府戦略本部会議の中間報告を見ても、「ポストコロナ」の経済戦略は、インバウンドの再生と促進、外国人材の活用による人手不足の解消と多様性の向上という、コロナ禍で完全に破たんした政策を思考停止状態で推進している。そして唯一といえる地域経済政策は、2025年の万博の開催、カジノ(IR)の誘致であり、市民をカヤの外に置いて外資や中央資本をもうけさせるためのプロジェクトでしかない。それも、日本国内のみならず各国ですでに破綻が証明された時代遅れの政策であり、「公共」を徹底的に破壊して外資の草刈り場にしてしまう新自由主義政策といえる。



 二度目となる今回の住民投票では、5年前に有権者をうそぶいてきた欺瞞が暴露され、引退を強いられた橋下徹に続き、松井一郎が「負ければ引退」をほのめかして再チャレンジに挑んでいる。既存政党が有権者から浮き上がり、他の選択肢が乏しいという条件のなかで、あだ花のように咲いた「維新」政治に対する大阪市民の最終的な審判として注目される。

長周新聞 2020年10月3日 https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/18615

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