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2020年10月11日00:21

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1688年のイギリスの「名誉革命」は、

■学術会議任命拒否に抗議広がる=学者・文化人ら、続々と声明―ネット署名14万件
(時事通信社 - 10月10日 13:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6263443

ロンドンを急襲した当時世界最強のオランダ軍の占領下で、現国王を排除されて、議会がオランダから開明的な国王を迎え入れることで、「権利の章典」を呑まされのだという。
で、この「押し付けられた憲法を受け入れ、堅持することで、イングランド議会は王権の手を縛ることができ」、「オランダに似た国」として「宗教的寛容と表現の自由を特徴とする立憲主義的政治体制の確立」が出来たのだという。
<長谷部 恭男 著『戦争と法』2020年文芸春秋>

長谷部は、「『国家の決闘』としての戦争」を禁じる憲法9条の意義を再確認する趣旨で、この論考を著しているのだが。

従来、世界史の教科書で教えられ広く常識化されてきた「名誉革命」の粉飾性と、「押し付けられた憲法」のイギリスでの歴史的働きの記述だけでも、戦後日本の「押し付けられた憲法論」への新しい角度からの視座として、目からウロコが落ちた思いでした。


今「学問の自由」についていろいろ議論が出ているなかで、日本にとって、こうした「真摯に実証的な学問の在り方」こそが、政党間の駆け引きとしての空虚な議論ではなくて、「守られるべき学問」なのだと思う。


*私事ながら、私が25歳で1年かけて書いた中世商業史の実証論文は、当時のイデオロギー論争にかき消されて、大学院生が図書館でその短い論文を見つけて、その指導教授が「貴兄が正しかった」と認めるまで、35年かかっています。

今更それをとやかく言うには、功成り名を遂げた当時すでに著名な論敵は亡くなっているし、私にとっては青春の一齣にすぎませんが。
(優秀な論敵が、何を「俯瞰」し、何に「忖度」したかは、75歳になって私も想像はつきます。しかしその「忖度」の影響は、大河の一滴ながら、大きかったと思ってます)

なんであれ「エビデンスのない説明・無視」は、実りある論争には発展しないことは、私たちが考えた分野の実証研究が、その後は長く停滞したことからも、明らかです。


今75歳の老い先短い老人としては、若い方々が身に着けるべき学問への姿勢は、権力や時流を俯瞰して忖度するのではなく、吟味されたエビデンスで自分の知力を磨くことだろうと考えています。

それさえ心がけていれば、多少のアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)にふりまわされても、一つ二つ墓場に持ち込む「沈黙の手荷物」が増えても。
最後は「いくつになっても、学ぶことがたくさんあったなあ」ぐらいの恥ずかしさで、静かにあの世に逝けますからww


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