mixiユーザー(id:15951369)

2020年10月01日06:26

175 view

「発出」⇒「発令」

昨日の日経夕刊コラム「明日への話題」に小林弘美さんが「縁 よすが」をお書きになられていました。

(以下全文引用)

4月7日に安倍首相が読み上げた文書の言葉が、「緊急事態宣言を発令いたします」ではなく、「緊急事態宣言を発出いたします」だったことについて、前回の続きです。広辞苑で「発令」は、「法令・辞令などを発布・公表すること」。「発出」は、「あらわれること。あらわすこと。おこすこと」。「発令」だと「しなさい」という強制力をもつ印象を与えるのに対し、「発出」は「ということなのです」と、ただ言った感じ、だろうか。

この発表を受けた新聞記事を読むと、「緊急事態宣言が発令された」と書いてあるものが、いくつかある。政府発表では「発出」と柔らかく表現したものを、「発令」という命令的な言葉に置き換えているが、これ自体はあながち間違ったこととはいえない。ただし、政府の表したかったニュアンスをそのまま伝えているともいえない。

前回話題にした「校閲者」たちは、おそらく「発令」部分をチェックするだろう。けれど、ここが面白いところだと思うのだが、校閲者はあくまでチェックをするだけ、そのチェックに強制力はないのだ。著者が「いや、この表現をしたいのだ」と粘り通したら、その通りになる。「発令」と新聞記事に書いた記者たちは、「政府は発出と言っているが、これは発令的発言」と判断したのだろうし、「発出」と書いた記者は、「強制的な意味合いではない」ということを打ち出したかったに違いない。

たったの一単語の違いが、印象を大きく変える。使った者の姿勢をあらわに示す。けれど、人と人とのつながりかたの模索は、ここから始まるのではないか。言葉こそが、異なるどうしの縁(よすが)となってくれるのである。

(引用終わり)

 先日根室空港から関西空港に向かうLCCで、「マスク着用をお願いします」とCAに言われて、「お願いならば拒否します」と言ってマスクを拒んだ乗客が緊急着陸の新潟空港で降ろされました。洪水の際の「避難指示」の場合には、従わなければ本人が被害を被るだけですが、「緊急事態宣言」の場合や、「マスク」の場合は、それによってその人と行動を共にする多くの市民を「感染の危険」に陥れる、大幅な「遅延」に陥れたわけで、「緊急事態宣言」を「発出」して「後は知らん」と言う性格のものではなく、毅然と「命令できる」日本であってもらいたいと思います。従わなければ搭乗を拒否したり、応分の処罰を受けさせるべきではないかと思います。結果的に、一種のハイジャックと同じ状態になったのではないかと思いました。

 新聞がそこまで細かく用語をチェックしているとは知りませんでした。同じページに「首相、来月にも初外遊」と言う記事がありました。この「外遊」と言う言葉には子供のころから違和感がありました。別に「国賓待遇の接待を受けに行く」わけでもないのに「外遊」と言いう。まだ「遊学」などの方が若干ニュアンス的にありうる表現だと納得できるのですが・・・・。「総理大臣が外国に遊びに行く?」とは思えません。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年10月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

最近の日記

もっと見る