mixiユーザー(id:6785066)

2020年09月29日08:58

7 view

18961127 NO4172 京釜鉄道に関する報告

18961127 NO4172 京釜鉄道に関する報告
http://db.history.go.kr/item/level.do?sort=levelId&dir=ASC&start=1&limit=20&page=1&pre_page=1&setId=-1&prevPage=0&prevLimit=&itemId=jh&types=o&synonym=off&chinessChar=on&brokerPagingInfo=&levelId=jh_009_0020_0210&position=-1
009_0020_0210 駐韓日本公使館記録 9巻 二. 京釜鉄道に関する書類 一•三 (21) 京釜鉄道に関する報告
文書題目 (21) 京釜鉄道に関する報告
文書番号 機密第九四号
発信日 明治二十九年十一月二十七日 ( 1896年 11月 27日 )
発信者 臨時代理公使 加藤 (*特命全権公使・加藤増雄)
受信者 外務大臣 伯爵 大隈 重信

(21) 京釜鉄道に関する報告
機密第九四号
当国(*朝鮮)政府は「別紙甲号」の詔勅を発して向こう一年間鉄道敷設の許可を各国人民に与えない事を決定しようとする計画があるとのことを前もって探知致しましので、取り敢えず一方には「別紙写乙号」の通り本月十六日の電稟に及び、また一方には同日国分・通訳官を外部に派遣し次のように申し込ませた。

「貴政府はこの際詔勅を発し、向こう一年間鉄道合同を他国人に与えない事に決定しようとしていると聞いた。しかし、たとえどのような詔勅があるとしても、条約上の効力を左右することができないことは言うまでもないことであるので、『貴我暫定合同条款』の規定に拠り目下懸案中にある京釜鉄道にはなんらの影響を及ぼさないものと信じる。だとすればこの詔勅を発布するとしても、他日我が要求に応じ契約を締結する場合においては、この詔勅はいたずらに水泡に帰すことになるだろう。これはどうして国家の名誉とできようか。
そればかりでなく、このような詔勅を下せば、帝国官民は貴政府の処置に対し著しく激昂をきたし、その結果本案がどのような難局に推移するかは実にあらかじめ保障しがたいので、この詔勅の発布されることが果して事実だとすれば、これはいたずらに貴我の感情を傷つけ事件の発端となりかねないことであり、国際上少しも利益が認められず、いやむしろこれを発しないことが優れていると思われる。」云々

ちょうど同官(*外部に派遣された通訳官)が外部に到着したときは、李・外部は至急の用事があって行在所(*国王のいるところ=ロシア公使館、か)に出た後で、やむを得ず高・協弁に面談しこれを経て李・外部に伝えさせる事と約束し帰館致しました。
本官はつとめてこの件を未発に予防したいと思い、その夜なおまた「別紙丙号」の私信を発し切実に勧告する所があったにもかかわらず、翌十六日の官報はこの詔勅を掲載することになった。
ちょうど同日の午後、「別紙丁号」の御訓電に接到いたしましたので、本官は直ちに李・外部に面会を申し入れましたところ、翌十七日午後四時に会見しよう、との回答があり、直ちに同日外部に赴き、本官は李・外部に向って先ず詔勅の意味に関し二三の質問を為し、その後なお
〇前夜彼に与えた私信の意味を詳しく説明し、一方の国の詔勅は双方の条約を左右する効力を有しないこと、
〇その詔勅を理由にして目下懸案中にある京釜鉄道問題に及ぼし、自然「暫定合同条款」に定める権利の実行を一ヶ年間停止しようと企てられることは不都合であること、
〇詔勅の中に所謂「財政未裕(*財政に余裕がないこと)」云々の情実は今日に起ったことではなく、先日アメリカ・フランス二会社に許可された場合においてもこれと同様である。ところがアメリカ・フランス会社には容易に許可を与えて置きながら、これより前に成立していた条約に基づいた我が京釜鉄道の契約に対しては、徒らに言辞を構えてこれを拒否しようと試みられるのは隣邦を侮蔑するに当る、など厳しく問い詰めましたところ、李・外部答弁の要旨は
「そもそも京釜鉄道に関しては、従来の行き掛かりより論じても、かつてなんらかの詔勅があったため今日まで契約が成り立たなかったわけではないので、今ここに詔勅発布の事があるとしても、契約締結時機が到来したなら当然成立するだろう。どうして詔勅のありなしにかかわらず本問題の成否を下すことがあるだろうか。またたとえこの詔勅があるとしても、貴政府はこのため京釜鉄道の権利を放棄されるような事は決してないだろうと信じられるので、このような詔勅があるとしても、貴我交渉の上においては少しも損益の生じることはないと思われる。したがって今後当方こそこのような詔勅があるために難渋することになるだろう。貴政府においては従来の行き掛かりから論究されて少しも差支えはないようだ。また貴公使は我が政府が排日主義に出たかのように論じられるが、それは国力の強弱の状況に関するいわゆる国力問題であるので、どのようにして我が国がそのような主義(*排日主義)を執ることができるだろうか。これは思いがけない過酷の御議論である」云々、さらに
「本官は今貴大臣の言の如くせば(*この十四字不明)、たとえ詔勅があったとしても時機が到来したならばこの詔勅にかかわらず契約は成立するだろうと考える。敢えて詔勅の有無に関係しない。」と。

そこで
「もしそうならば本官は今貴大臣の言葉を信じ、詔勅は京釜鉄道問題に何らの関係を持たない無効力のものと見なしても差支えないのか」
と突き詰めたところ、李外部は
「いや、詔勅に書かれた事情は我が国財政上の実際を写したものであり本大臣がこれをどうすることもできない」
とか、あるいは
「京釜鉄道は現在暴徒がはびこっているので契約に至らなかったのである」
とか、または
「一年後において我が国財政は余裕を生じるだろうとは思われないので、今年も明年も財政がまだ豊かでないという事情は同一であるだろう」
とか種々曖昧な言葉を弄するだけで一向に要領を尽さないので、本官はここに公文をもって抗議にしたいと述べ話を収めて帰館。
翌十八日に別紙「戊号抗議書」を送ったところ、これを差し違いで「別紙己号」の通り彼より照覆を送ってきて、同時に「契約案」を返却致しましたので、その大要を「別紙庚号」をもって電稟に及びましたところ、「同辛号」の御訓電に接しましたので、直ちに「別紙壬号」のように反論を加え重ねて「契約書案」を付して照会に及んで置きました。

ところが今回詔勅を発した原因について当館において探知致した所によれば、例のアメリカ人モースに許可した京仁鉄道の着手期限が追々迫まっているので、モース会社は社員を派遣し漸く京仁間の踏査に従事させようとするに際し、さしあたり仁川付近において選定すべき停車場の地価を尋ねたところ、その価格は二万余円(安駉壽所有地)を求めた。仮にこの比例に拠ると、京仁間で非常の多額を要し、目下朝鮮の財政ではよくこれを担当することは出来ない。いわんやフランス人の京義線路がこれに次ぎ、また京釜鉄道の契約成立はしたとしても、他日に「土地収用規則」を発布するにせよ、これらの線路に提供する土地を買收する費用は莫大なものとなるだろうとの事に当局者は「不図気付き」(鉄道掛員・李采淵)、取り敢えず国王に相談し「詔勅草案」は国王の手を経て議政代理・尹容善に下付された。この時尹・議政代理は
「勅文の意味・字句について訂正を加えてよろしいか」
と奏上したのだが、国王は
「いや、原案は英文でなされたものであるので訂正は無用である」
との事で、尹・議政は原稿のまま式に従って登記し、これを官報局に回付した、と云う。
これによって見れば、その原案の出所を秘し、それが何人の主動に出たのかを覆った形跡がないでもなく、またある説では、内閣文書局長・李商在の発議で朴定陽などの一派が一時日本の要求を避けるための手段として事ここに至ったもので他に深い魂膽はないという者がいて、まだこの二説中何れが事実であるかは明瞭ではありませんが、この詔勅が議政府の議を経て発布されているのではなく、ともかくもごく狭い範囲において作成されたことは事実であるようだ。この件別紙「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬」号を添えて具報いたします。 敬具
明治二十九年十一月二十七日
加藤 臨時代理公使
外務大臣 伯爵 大隈 重信 殿













0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する