入口 紀男
8分前 ·
「原水爆実験の時代の影響は今はほとんどない」
「第五福竜丸事件」(1954年)は日本人に衝撃を与えました。新聞は、「死の灰」の恐怖を連日のように報道しました。同年、東宝は原水爆実験で生まれた(初代)『ゴジラ』を公開しました。
添付図は、原水爆実験時代の「死の灰」の降下沈着量(東京にあった気象研究所)です。
当時(1960年代)原水爆実験には、ソ連のツアーリボンバなどを含めて合計で広島原爆約 10,000発分であったと考えられています。東京に降り注いだ放射性物質は、グラフのように1平方メートル当たり 10〜100ベクレルでした。1ベクレル=1秒間に起きる核分裂・崩壊の回数。それから30年経って1990年代には放射能量は 1,000分の 1以下になりました。
島国日本は雨が多く、年間に約 6,500億トンの雨が降ります。地表に沈着した放射性物質は海に流されたと考えられます。
現在の太平洋の海水 1トンあたり 2〜 3ベクレルが当時の原水爆実験の時代の放射能であると考えられています。
ログインしてコメントを確認・投稿する