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2020年09月12日18:24

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体力が続く限りやりたかった

■ぶっちゃけ、今の仕事は「辞めたい」? みんなのリアルな声は…
(TOKYO FM + - 09月12日 12:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=257&from=diary&id=6229357


昭和44年に23歳で大阪の教員採用試験に合格して以来、
定年後の5年間を含めて47年間、高校の教師をやってきました。
 
もともと若い衆が好きでしたし、彼らの心の動きも見えていましたから、
この仕事は僕の天職じゃないかなと思っていました。
 
採用面接で自信満々に英語教育が間違っているなどと言ったせいでしょうか、
大阪でも底辺に近い高校に配属されました。
 
4月に赴任したその日から、職員室、教室の別なく無気力な雰囲気。
おまけに教育委員会から、生意気な若造という情報が入っていたのでしょう、
始めから3年生の担任を任されました。
たぶん、僕が弱音を吐いて途中で辞めることを予想したんでしょう。
そこは、2年生まで札付きで、国語科の女性教諭が放り出したクラスで、
当然、荒れて無気力な男や女、欠席遅刻、単車乗り回しを繰り返す生徒たち。
大学を出たばかりの若い僕を、当然のように舐めてかかりました。
 
高校大学時代、適当に荒れていた僕には
彼らの心理が手に取るように判るため、全く気にもなりませんでした。
一切生徒に媚びることなく、クラス経営をどんどん進めました。
当然反発してきて、胸倉をつかまれることも度々、
わざと生徒の神経に障るようなことを言ってやると
「オンドレ、殴ったろか」と凄んできましたが、
ひるまずに「殴りたいんやったら殴って見ぃ」と言ってやると、
本当に殴りました。
 
口の中下切れてクラスは総立ちになりましたが、平然とHRを続けました。
奴らは表面上悪ぶっていても、本当は繊細な神経を持っているものです。
次の日、何事もなかったように授業(英語)を進め、
その男のそばに行って「なかなかエエパンチしとるやないけ」と囁くと、
驚いた様子でした。
 
対教師暴力は、問答無用に無期停学なのに、担任は職員室に報告しなかった、
というのが意外だったようです。
 
それからだんだんとその生徒は、粗暴な振る舞いをしなくなっていきました。
そのうち、放課後には僕が仕事をしている四階のLL準備室に来るようになり、
いつか準備室は「ワルの溜り場」みたいになっていきました。
僕は持ち込んでいたギターを弾き、奴らに弾き方を教えたりしていました。
男連中が来ない日は、女子連中がワンサとやってきます。
 
奴らは勉強ができない代わりに、人間を見定める目には確かなものがあって、
「この男、俺らとおんなじ匂いしてるな」と本能的に感じるみたいです。
一学期が終わる頃になると、クラスは見違えるくらい素直になっていました。
クラスのワルと心が通じ合っていることを周囲が見て取ると、
全員が心を開いてくるようになりました。
 
二学期も終わりに近づくと、彼らは僕を「○○先生」と呼ばずに
「○○さん」と呼ぶようになりました。
卒業の日、クラスは僕のためにパーティを開いて別れを惜しんでくれました。
23歳で初めて受け持ったクラスが、いちばん心に残っていますね。
あの時ほど「教師になってよかったな」と感じたことはありません。
 
ふつう、卒業させた次の年は、担任を免除されるものですが、
学校は次の年も新一年生に配属しました。
それ以来、定年までクラス担任を10回やりました。
 


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