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2020年09月05日23:54

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本格ミステリーと横溝正史と金田一耕助を愛する人のために/木魚庵&YOUCHAN『金田一耕助語辞典』(誠文堂新光社)

■誰もが知る“名探偵”を深掘り! 『金田一耕助語辞典』
(OVO [オーヴォ] - 08月26日 11:11)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=201&from=diary&id=6208009

 読んだ本の感想をあまり書かないのは、九割方、貶してしまうからである。
 マンガだって映画だって、玉石混交、傑作もあれば超駄作もあるものだが、どういうわけか、小説の場合は、読む本読む本、なぜこんなに駄作にばかり当たるのか、とゲンナリしてしまうことが多い。
 ミステリーの場合は特にそうで、近年の日本の作家たちの小説を読んでも、よく商売やってられるものだと逆の意味で感心してしまうことになる。それは、幼少期、洋邦を問わずに読み漁ってきた黄金時代のミステリーの傑作群のおかげだろう。

 最初はもちろん、少年向けのミステリー、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズや、モーリス・ルブランのアルセーヌ・ルパンシリーズ、江戸川乱歩の明智小五郎と少年探偵団ものなどから入って、やがてミステリ全集に進んでいった。
 アガサ・クリスティー、エラリー・クイーン、ヴァン・ダイン、F・W・クロフツ、G・K・チェスタートン、ジョン・ディクスン・カー、ウィリアム・アイリッシュなどなど。これが“正しい”ミステリーの需要の仕方だった。
 日本の作家の場合は、乱歩の次に控えていたのがもちろん横溝正史である。最初に私が手に取ったのは、少年向けの『金色の魔術師』。名探偵の名前を見て、思わずプッと吹いてしまった。「金田一耕助」。なんてダサい名前だ(いや、そのころはまだ「ダサい」なんて言葉はなかった。何と言っても映画化による空前の横溝正史ブームが起きる何年も前、昭和47年のことである)。

 しかし、一読三嘆、乱歩の怪人二十面相ものに正直飽きてきていた少年の心は、完全に鷲掴みにされた。今思い返せば、あの作品はルブランの『813』の換骨奪胎だったから、面白くないはずはなかった。
 少年ものでこれだけ面白いのだから、大人向けの小説はもっと凄いに違いない。で、次に読んだのが『獄門島』である。もう「金田一さん、あれを見い、あれを見い」ですよ(笑)。以来、私の中では、『獄門島』が、東西ミステリーの中でもベストワンを占め続けている。名探偵ベストワンとしても、金田一耕助を選ぶに吝かではない。彼がトリックを見破るヒントを見逃しまくっていてもだ。

 ところが、最近、知人に『獄門島』のドラマ版(長谷川博己主演のやつね)を見せたら、「どこが面白いのか分からない」と抜かすのである。
 何でやねんと、これまでの読書経験を聞いてみたら、ろくにミステリーを読んだことがないと言う。そう言えば、その人、以前も某ミステリ作家さんの小説について、何が面白いか分からないと言ってたことを思い出した。謎解き小説は作者と読者の知恵比べなんですよと説明しても、「はあ」としか答えられない。そもそもミステリをどういう視点で見ればいいのかが分かってない人だったのだ。
 根っからのミステリファンには信じられないだろうが、世の中には、こんな、お前、どんな人生歩いて来たんだよと訝りたくなるような人間が存在しているのである。しかも結構たくさん。

 さて、そこですっかり頭を抱えてしまった次第である。そもそもミステリの素養のない人に、ミステリの、特に本格ミステリの面白さをどう伝えたらいいのだろうか。途方に暮れるとはまさにこのことである。
 暮れた末に諦めた。私の場合、横溝正史に入る前に、ホームズ、ルパン、明智小五郎は一通り読んでいる。せめてその程度の素養がなければ、横溝正史の巧緻なアイデアと構成の妙味が理解できるものではないのだ。その人に一から勉強しろと言ったって、特にミステリに興味もなかったからこれまで読んでこなかったわけで、今さら読むわきゃないのである。
 こういう人が世の中のマジョリティになっているとしたら、ミステリ評論とか、いや、ちょっとした感想だって、書くこと自体、虚しくなってしまう。あれは面白い、これはつまらないと書いたところで、ミステリファンではない大多数の人には、何を書いているのかちんぷんかんぷんなんだろうなあということが察せられてしまうからだ。

 考えてみたら、『名探偵コナン』とか、確かにファンは多いけれども、映画のレビューとかを読んでみると、大半が「キャラ推し」でファンになっているだけで、ミステリとしてどうかってことを話題にしてる人なんて、ほんの一握りなのである。
 実は、ミステリファンって、マイノリティなんだよ。百人に一人、千人に一人、もしかしたら一万人に一人くらいしかいないかもしれないくらい、ごくごく少数派……。

 前置きが異常に長くなって申し訳ないが(ここまで前置きだったんだよ)、『金田一耕助語辞典』を購入して一通り読んでみて、どんな購買層がこの本を買うのかなあと想像していたら、ものすごく虚しい気持ちに襲われてしまったのだ。
 件の知人は、まずもって関心自体、示さない。一般人の大多数は、表紙を見ても素通りしてしまうだろう。奇しくも項目の一つに「八つ墓村・犬神家混同問題」が取り上げられているが、一般人の横溝作品に対するイメージなんて、どれがどれやら区別がつかない、というのが実情なのだ。毎年のようにドラマ化されていても、そもそも関心がないのだから、「金田一耕助」という名前にも何の反応も示さない。興味を持つのは、ある程度、ミステリをミステリとして愛好している人々だろう。

 で、それがほんの少数派であるとすれば、本書の売れ行きもさほど期待できるものとは言い得ず、それが私の気分をどんよりとさせてしまっているのだ。
 だってもう、この本、物凄い労作なんだよ!? 一個一個の項目について、全ページに添付されてるイラストについて、感想を語り出したらそれだけで本書と同じ分量の本になっておかしくないくらい、膨大なウンチクが芥川の芋粥並みに山盛りなんだから! それがろくに「読まれない」なんて考えると、心臓が締め付けられるように哀しくなるんだよ。

 筆者の木魚庵さんは、本書を執筆した動機について、次のように説明している。

「横溝の文章は70年前の小説とは思えないほどわかりやすく、SNSなどでもすらすら読めたという感想が目立ちますが、その一方で、読みにくかったという意見も目にします。世相や時事を表すことばの意味がわからず、そのたびにつっかえたというのです。
 今では使われなくなったことばの意味さえわかれば、横溝作品をもっと楽しく読めるのではないか。その思いは若い新規の横溝ファンと交流を重ねるうちにますます強くなっていきました。

 (中略)
 それなら、日頃から思い描いている用語の解説に振り切った金田一耕助本を作れないだろうか。今では意味がわかりにくくなってしまった当時の世相や風俗を表すことばを、作品に寄り添いながら説明することで横溝ファン、金田一ファンが楽しめる本を目指せるのではと考えました。」

 木魚庵さんの執筆姿勢には、全面的に共感する。今の若い人には、「ことばがわからない」が「つまらない」に直結しちゃうんだよね。
 たとえば件の知人は、「鵺」がトラツグミのことだってことを知らなくて、妖怪のことだと思っててさ、説明したら「なーんだ」とガッカリしてやがるんだよ。本格ミステリーに妖怪が出てたまるか!(京極さんのも出そうで出ないからね。ただし一部の怪談ミステリーにはホントに出る)
 言葉の解説はしても、犯人やトリックのネタバレは小説や映画を未見の方のためには厳禁だから、筆者の苦労には並々ならぬものがあったと想像する。さらに記述に注意を図らなければならなかっただろうと思われるのは、原作中に頻繁に登場する、現代では「賎称語」「差別表現」と言われる言葉のことだ。木魚庵さんは、「マイノリティを表す表現」という項目で、それらをまとめて解説した上で、最後に「横溝正史は社会的マイノリティに対するバランス感覚に優れ、作品の中でも常にあたたかいまなざしをなげかけていることは、作品を読み込んでおられるファンの皆様ならきっと同意いただけるはずである」と結んでいる。
 一歩間違えれば、出版停止の憂き目を見るかも知れないセンシティブな問題である。しかし、賎称語とは言われていても、それらは、横溝作品、いや、日本文学の大半を読み解く上で、知らないでは済まされない言葉の代表だと言ってもいい。これらを解説しなければ、『金田一耕助語辞典』は当初の目的を果たせず、全くの無価値なものになってしまう。木魚庵さんは、腹をくくっている。覚悟の上で本書を執筆している。賛同の意を示さずにいられようか。

 木魚庵さんに倣ったわけではないが、実は、私も同様の意図で、Wikipediaの大林宣彦監督の映画『金田一耕助の冒険』のパロディ注の殆どを書いた。
 軽く200項目くらいは書いたと思うが、なぜそんなことをしたかと言うと、世間でのあの映画に対する批評はその殆どが酷評で、しかもその理由が、パロディの意味が分からない、分かっても笑えない、というものばかりだったからだ。
 それはもう、私に言わせれば「ギャグの意味が分かっていないから」としか言いようがないことだった。酷評した人々がいかにあの映画を理解していないか、それはあの金田一耕助が「昭和20年代からタイムスリップしてきた」、いわば「過去の亡霊」であったという基本的な事実にすら気づいていないことに愕然としていたのである。
 誰かいつかは記事を書いてくれるんじゃないかと待っていたけれども、誰も書かなかったから、業を煮やして、批判は覚悟の上で、分かり得る限りの蘊蓄を並べた。出典を書けよって指摘もあったけどさ、CMのパロディとか、「当時見たから」としか答えようがないんだもん。出典ったって示しようがないがな。
 反応が何かあるかと内心ドキドキしていたけれども、特に何もなかった(苦笑)。『金田一耕助の冒険』という映画自体が、大林映画の中でもすっかり忘れられた存在になっていたのである。
 『金田一耕助語辞典』の中では、この映画のラストについて、「メタフィクションのミステリ論として一見の価値ある名シーン」と評していて、感涙に堪えない。

 YOUCHANさんの膨大なイラストも、本書の大きな魅力であるが、特に感激したのは、「占い」の項目で描かれた『悪魔が来りて笛を吹く』の椿美禰子。原作ではでこちんの不美人と描写されている可哀想なヒロインだが、私は大好きで、これが物凄く可愛らしく描いてあるのよ。増補改訂版が出たら、彼女だけで一項目立てて、全身像を描いてもらいたいと願っている。
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