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2020年07月30日23:29

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数学的思考と物理的思考の違い

物理と数学が両方できた人は少ない

両方できた人:  (数理物理学者)
アルキメデス Gr
ニュートン  E
ルジャンドル F
ラプラス   F
ガウス    G
リーマン   G
ハミルトン  E
アインシュタイン G
ポアンカレ    F
ベレルマン    R

数学が得意だった人: (数学者)
ピタゴラス    Gr
オイラー     R
パスカル     F
エルミート    
アダマール    F     
アーベル  
ヤコビ      
ディリクレ    F
関        J

物理が得意だった人: (物理学者)
マックスウェル  E
シュレディンガー G
ハイゼンベルグ  G
ボーア      

物理学では、特定の問題を解き、そこから、帰納的に一般法則を導き出す。
つまり、小さい特定例から、大きな法則へ拡張する。思考が現実的だが哲学的である。
その結果、法則が、その場では当てはまるが、それは最終的には実験で確認されなければ
有効性が確かめられない。ただ、現実に適用できる、ということはそれ自体が価値である。

数学では、逆に、一般的・普遍的に考え始め、まずは全てに枠組みを考え、原理を考え、
定理を考え、補題を考える。つまり、大枠から細かいところへ思考を巡らす。
一般法則をまず考え、それを物理に応用しようとする。物理とは、方向がまるで逆で
普遍的、演繹的だ。その過程の思考様式がアートで、非現実的だ。
数学の価値は、その美しさ、見事さにある。ただ、そこで言えるのは
物理学者も数学者も、どちらか一方のやり方に固執し、各々が非対称的で一方向的だ。

話はここで終わらない。なぜならば、一部の天才たちは、両方を簡単に行き来するからだ。物理学者とも数学者とも違い、やり方が対称的で、双方向だ。
物理の問題を考えているうちに、一般的な数学法則を作り出したかと思うと、
数学の法則を、勝手に独立に思いつき、その際に前に考え出した物理法則を援用(応用)
したりする。物理と数学の間に、思想的境界はなきものに等しい。

最近、ポアンカレ予想の証明を追いかけているのだが、ペレルマンはそう言った
天才であることが、まざまざとわかった。

彼は、物理の数学証明に微分幾何学という数学ゴリゴリの道具を使いながら
解析的に解いたかと思えば、トポロジーという数学に熱力学という物理ゴリゴリの
方程式を当て嵌め、新しい数学体系を作り上げ、その有効性を証明したりする。
大凡、これらの双方向性は凡人にはマネができないどころか、理解してもらうのに、
苦しむ結果に終わる(その結果、ごまかしとインチキの中国人ハーバード教授にパク
られたりする)。

実に面白い。



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