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2020年06月28日07:11

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●おおさか●なにわ

●おおさか●なにわ
★おおさか おほさか 【大阪/大坂】
(1)近畿地方中部の府。かつての摂津国の東半部と和泉・河内二国を占める。大阪平野の主要部を占め、東は生駒・金剛山地、南は和泉(いずみ)山脈。1871年(明治4)設置。81年堺県(もとの大和国を含む)を合併。87年以前の大和国が奈良県として分離し、現在の府域となる。府庁所在地、大阪市。
(2)大阪府中部、大阪湾に臨む市。府庁所在地。指定都市。淀川・大和川下流の三角州に位置。西日本の経済・交通の中心地。古代の難波(なにわ)の地で、瀬戸内海から大和地方に入る水陸交通の要地。1496年蓮如が石山本願寺を建立、1583年その跡に豊臣秀吉が大坂城を築き、以来商業が発達。江戸時代には幕府の直轄地となり、各藩の蔵屋敷が設けられるとともに諸国の物資の集散地となり、「天下の台所」「町人の町」として繁栄。もと「大坂」と書いたが、1871年(明治4)大阪府は「坂」を「阪」に改めた。
〔中世・近世では「おおざか」が普通だった〕
» (成句)大阪の食い倒れ
   ・・・・・・・・・・・
・おおさか おほさか 【大幸】
  姓氏の一。

★大阪  隠語大辞典
読み方:おおさか
1.日和下駄の異称。下駄商仲間の語。
2.日和下駄の事を云ふ。〔履物商人隠語〕
3.〔履物商人〕日和下駄のこと。
分類  下駄商仲間、履物商人、履物商人隠語

★浪花  隠語大辞典
読み方:なにわ
1.塩ノコトヲ云フ。〔第三類 飲食物之部・兵庫県〕
2.塩。〔第六類 器具食物〕
3.塩を云ふ。
分類  兵庫県

★浪花  隠語大辞典
読み方:なみのはな
1.塩。それより時機の「しほ」に通はせ機会のこと。機会のよいことを「なみのはなはくい」といひ機会の悪るいことを「なみのはなくや」といふ。
2.塩。それより時機の「しほ」に通わせ機会のこと。機会のよいことを「なみのはなはくい」という。悪いことを「なみのはなくや」という。

★大幸  名字辞典
名字  読み方
大幸  おおさか→だいこう
大幸  だいこう→おおさか
逢坂  おおさか

★浪花  名字辞典
名字  読み方
浪花  なにわ
浪花  なみか
浪花  なみはな
浪花  なみばな

★大阪(おおさか、英: Ōsaka) https://ja.wikipedia.org/wiki/大阪
日本の近畿地方の地名である。西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、広い意味では大阪市を中心とする京阪神(畿内、大阪都市圏、関西圏)を漠然と総称することにも使われる。
関西の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記した。古都・副都としての歴史を持ち、現在も首都東京に次ぐ都市として、経済、文化、バックアップ面で重要な役割を担っている。
大阪は都市単位の経済規模(GDP)で世界3位。都市圏人口で世界12位のメガシティと評価されている。

★なにわ - Wikipedia - 大阪市  https://ja.wikipedia.org/wiki/なにわ
なにわ.
・別読み:なみはや(転訛する前)、なには(歴史的仮名遣)
・漢字:難波(「なんば」の別読み)、浪速、浪花、浪華
・万葉仮名:奈尓波、奈仁波.
漢字、万葉仮名は特に読み方が表記されていなければ「なにわ」と読む。

★なにわ なには 【難波/浪速/浪花/浪華】
(1)大阪市の古名。上町(うえまち)台地北部一帯の地域をさした。また、一般に大阪のこと。[歌枕]
「―気質」「津の国の―の葦の目もはるにしげき我恋人知るらめや/古今(恋二)」
(2)(「浪速」と書く)大阪市中央部にある区。
» (成句)難波の葦は伊勢の浜荻
   ・・・・・・・・・・・
・ろうか らうくわ 【浪華】
波がくだけて白い花のように見えるもの。波の花。

★なにわ
大阪の古名。
漢字では「浪速」「難波」「浪花」「浪華」、万葉仮名では「奈尓波」「奈仁波」などと表記される。

★木津勘助(読み)きづ かんす
デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
1587−1661 江戸時代前期の開拓者。
天正(てんしょう)15年生まれ。大坂木津村の農民。尻無川と木津川の間に形成された砂州の姫島に堤防をきずき,田畑をひらく。また木津川の水運も開発した。姫島はのちに勘助島とよばれた。寛文元年窮民救済のために法をおかし,処刑された。75歳。相模(さがみ)(神奈川県)出身。

★講談『木津の勘助』あらすじ - 講談るうむ - FC2
http://koudanfan.web.fc2.com/arasuji/02-10_kidukansuke.htm
【解説】
 『勘助島の由来』という演題でも演じられる。木津勘助(1587〜1661)年は相模国足柄山(今の神奈川県)の生まれ。江戸時代前期の土木技師で開拓者。木津川の治水や、また砂州である姫島に堤防を築いて勘助島を開発するなど、大坂の発展に大いに貢献する。1639(寛永16)年の冷害の折には、大阪城の米蔵を破って、庶民の救済にあたるなど、その男っぷりでも有名になった。

★大阪市浪速区:木津勘助(きづかんすけ)銅像 (浪速区情報>区内 ...
https://www.city.osaka.lg.jp/naniwa/page/0000000899.html
所在地:浪速区敷津西1丁目2番(敷津松之宮・大国主神社内)
 本名を中村勘助といい、天正14年(1586年)相模(神奈川県)で生まれました。豊臣秀吉に仕え、堤防工事や新田開発に尽くしました。
 徳川時代に木津川の開削により大阪の発展に寄与した功績とともに、寛永16年(1639年)に近畿一円が冷害にみまわれ大飢饉の様相を呈したとき、米(大阪城の備蓄米)放出を願い出ましたが聞き入れられず、私財を投げうって村人に分け与えました。それも限度がありついに「お蔵破り」を決行したことなどから今なお敬愛されています。
 「お蔵破り」の罪で葦島(現在の大正区)に流され万治3年(1660年)75歳で亡くなりました。墓は唯専寺にあります。





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