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2020年06月26日06:04

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令和デストロイヤー

録画しておいたちょっと古い洋画を観終えた。こちらだ。

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1957年版のあのヘミングウェイの傑作「老人と海」である。CGやVFX全盛のいまとなっては当時の特撮に心和むばかりであったが、それでも味わい深かった。
僕がこの原作を初めて読んだのは中二の夏なのでもう40年以上も前のことである。新潮文庫で日本語訳は福田恆存(つねあり)先生のものであり貴重だった。老人の勇気と闘志に感動し、読了後にしばらく口がきけなくなったものだった。純情だったんだね、僕も(*´ω`*)。

今日6月26日であるが、日中我が家でちょっとした用向きがある。それに際して我が家にいつものこいつらがやってくる。

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ご存じザッパマン義父と頓珍子義母だ。このふたり今日は破壊王としてやってくる。
今年初旬のまだコロナがまん延する前のことだ。来年小学生になる次女ともみと春から養護学校三年生となりいまなっている長女めぐみに学習机をこのふたりから買ってもらい注文した。それがコロナ禍の影響で本来5月中に納品されるべきものの入荷が明後日となったのだ。

狭い我が家にあって子ども用ながら学習机が二基入ってくればかなりのスペースを要する。なので既存であったパソコンデスクに利用していた元来家内の学習机と背の高くて収納力が高かった家具調の本棚を処分することにした。今日はそのふたつの大物の解体というかぶち壊しに義父母がやってくるのだ。

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本棚であるがこれには歴史がある。18年前にまだ52歳で亡くなった家内母の下の兄であった伯父の遺品だ。そも僕らが暮らすマンションは元来伯父が所有し暮らしていたところでありその本棚はその当時のものだ。これには逸話があり、この大きい本棚を伯父が気に入って買ったのはいいがデカすぎて玄関から入らず、仕方なくユニック車をチャーターしてこの二階にあるマンション部屋のベランダから吊り入れたという大ごとだったそうだ。

なのでこの本棚を古物商に売ることも僕の実家に引き渡すこともできないのでもったいないが解体して今度机を納入してくる業者に廃品として引き取ってもらう運びとなった。机も同様にバラして持って行ってもらうのである。

過日義父が我が家の廃品こたつをのこぎりでぶった切ってバラバラにしたことを日記に書いた。義父は元来の大ざっぱで粗野な性格からものをブチ壊すのが大得意なのである。
そのくせ本人の趣味は自称大工仕事とあるが、義父宅で彼が作った調度品というものを見たことがない。なので義父のいう大工仕事というにはつまりは大工道具を用いての破壊行為なのであろうと僕は思っている。あのブチ壊しが大工仕事だなんていったら本物の大工さんにたいへん失礼というものだ。

かつて我が家で不用品の解体やじゅうたん敷きといった大ごとがあるたびに義父母を動員したが、これつまりはこの家はふたりの持ち家なので、こういった大ごとに関しては彼らが主導でやっており、僕と家内はほぼ一切口出ししないであの年よりふたりに好き勝手にやらせるようにしている。あとはあのふたりがあれしろこれしろそこ手伝ってと言われた際にちょこっと手を貸すだけなので存外僕らは楽なのである。

そのため今日の昼飯は具だくさんのラーメンと作り置きのチャーハンとスタミナサラダの予定だ。ラーメンというとそのたびに義父は「スラーメン」は嫌だと言い、スラーメンとは何かというと素のラーメンつまりはすうどんと同じで具のないラーメンをさす。

かつて彼らにラーメンを振る舞った際に僕は具なしになどしたことは一度もなく、今朝もすでに肉野菜あんかけを作り昨日煮た煮豚をスライスしておき煮玉子もこしらえてある。なれど義父は毎度素ラーメンは嫌だと言ってくるのであり、ああこいつ学習能力ないなあと思わされがっかりさせられる。

家内によれば義父はまだ幼少の頃、彼の母親にラーメン食べたいとねだって作ってもらったところ、煮豚どころか玉子もメンマものりもなんにもない素ラーメンだったそうで、あの時のがっかり感をいまだに抱え込んでいるらしいのだ。ほんと、食い物の恨みってこういうのも言うのであろう。

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これは昨日僕が昼飯で食べたものだ。義父よ。これに肉野菜あんかけも載るから安心してくれ。
とまあ今日はあのふたりが来る。なのでトイレもキッチンのコンロもシンクもきれいにしておいた。あとは今日の仕事がどうなるかだ。気象情報によると今日の横浜は終日曇天ながら蒸し暑く29℃まで上がるそうだ。それでもラーメン。ま、いっか(-_-;)。
今朝5時の我が家周辺はこうだった。

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珍しくも濃霧であった。濃いめの霧を見るたびにこれまた中学生の時に読んだ小松左京先生の短編を思い出す。たしか集英社文庫だった。
父子ふたりでハイキングでプチ登山を楽しんでいる最中に濃霧に見舞われたため下山して霧をやり過ごすのであったが、霧が晴れた街なかにはそれまであったはずの人影がいっさいなく、ふたりが行けども行けどもどこにも人影がないのである。

これはひょっとすると…というところで話は終わり、なんともものすごくおっかないのであった。なのでいまでも僕は霧がちょっと苦手なのである。義父の大ざっぱも苦手だけどね。まあ今日も仲良くやりますよ(*´ω`*)。
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