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2020年06月20日00:47

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かつての西宮市民が言うが、関西人=阪神ファンは単純すぎる


これは、去年の8月に一度書いた日記ですが、プロ野球シーズンが始まったので再アップします。いつもプロ野球が始まる頃には、「メジャーリーグ」などの野球映画をテレビで放送するようなものです。(笑)


僕は父が転勤族だったので、小学校卒業までは全国各地に住んでいたので、小学校6年の時は西宮に住んでいたことは僕のマイミクなら知ってるだろう。それで、西宮市民だったから地元の阪神タイガースのことをけっこう冷静に見ていたから、関西人が熱く阪神タイガースについて語っているとちょっと滑稽に思えることがある。

僕が西宮市に住んでいたのは昭和55年(1980年)から翌年なのだが、当時は西宮市には阪神タイガースと阪急ブレーブスという2つのプロ野球チームがあった。だったら、僕の小学校には阪神ファンが多かったのではと思うだろうが、通っていた小学校のすぐ近くに西宮北口駅があり、駅の真ん前には阪急ブレーブスの本拠地の西宮球場があり、駅の中には「ようこそ、阪急ブレーブスの西宮球場へ」という宣伝があって、阪急ブレーブスのスター選手の写真が飾られていた。さらに、小学校の中には「阪急ブレーブス子供会」とかもあったのでかなり阪急ファンが多かった。それで、僕自身は父と近鉄電車に乗って吉野に行った時に、近鉄特急に乗ったら近鉄特急が大好きになったので、その後は近鉄ファンになった。当時は西本監督でマニエルが近鉄にいて1979年80年と近鉄がパリーグを連覇しており、近鉄ファンになったのも当然だった。

一方、小学校にいた阪神ファンがよく言っていたのは、「タイガースが優勝するためには身売りをするしかない。阪神電鉄という中小企業がオーナーである限り優勝はできない」ということだった。これは、関西人か鉄道マニアならよくわかるだろう。昭和時代から平成前期の阪神電鉄というのはまだ近鉄と相互乗り入れをしておらず、線路の総延長は私鉄大手15社の中で一番短かった。「金持ちの阪急電鉄がタイガースのオーナーだったら、タイガースは巨人に勝って優勝できるはずだ」という声もあった。特に西宮市民は金持ちの阪急電鉄と貧乏な阪神電鉄の資金力の差をよく知っているので、そのようなことを言う人が多かった。多くの西宮市民は「人気だけのタイガース、実力のブレーブス」と言っていた。

もう一つの大きな問題として、地元の関西人なのに阪神タイガースには良い選手が入りたがらないということがある。関西の名門野球高校のPL学園、大阪桐蔭、智弁和歌山、天理、報徳学園などで甲子園で活躍した選手はそのほとんどが阪神には入っておらず、なぜか、掛布、田淵、新庄のように関西以外の地域で育った選手がタイガースの主力選手になっている。

これについては、報徳学園で夏の甲子園の優勝投手になった金村が、「僕は宝塚市に住んでましたが、小学校の頃に甲子園球場に阪神の試合を見に行って、負けた後に阪神の選手たちが凄まじいヤジをファンから浴びるのを見て阪神に入るのはやめようと思った。試合が終わった後に選手が駐車場に止めてある車に乗ろうとすると、駐車場の外に怖いファンがたくさんいてボロクソに選手をヤジってました。それを見て、阪神はファンが怖いから入るのは止めようと思った」と言っている。ファンが熱狂的すぎて怖すぎるということについては清原、田口(オリックス)、池山(ヤクルト)なども同じことを言っている。


あと、決定的なのはフロントがお金がないので不可解なトレードをすることが多いから。江夏は江本とトレードされて南海に行き、田淵は真弓、若菜らとのトレードで西武に行き、野田は松永とのトレードでオリックスに行った。そして、どの選手も阪神から出た選手は活躍して、阪神に入ってきた選手は失敗している。江本は「ベンチがアホやから」と首脳陣とフロントを批判する正論を言ってクビになり、江川事件で江川の代わりに阪神に来た小林は、1983年オフにまだ活躍できたのになぜか引退している。松永はFA権を取ったらダイエーに行ってしまった。

1985年には4月にバース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発があり、そのまま勢いに乗ったこともあって球団創設以来の初めての日本一になった。だが、当時、仙台に引っ越していて高校生だった僕は阪神ファンの友達に、「阪神黄金時代はそんなに長くは続かない。元西宮市民だから知っているけど、親会社の阪神電鉄のフロントが貧乏なのでおかしな選手起用とトレードばかりするから、阪神はまた弱小チームに戻るだろう」と言った。阪神ファンの友達は苦笑いをしていたが、1987年シーズンにはチームは崩壊状態になって、1988年にはバース、掛布、岡田が開幕の時にはいたのにバースはアメリカに帰り、掛布はシーズンオフにまだ34歳の若さで引退をした。

阪神が85年にすごく強かったのに2年後にはすぐに崩壊した原因は、やはり、阪神電鉄がライバル巨人の親会社の読売新聞に比べると資金力が半分くらいしかないので、主力選手の年俸が払えなくなったからだろう。その後は主力だったオマリーをヤクルトに放出したり、せっかくオリックスでFAから取った石嶺を上手く起用できなかったりと、1990年代の阪神暗黒時代には不可解な選手起用が多かった。これについては、銀行の大阪支店で勤務していて大阪の経済界に詳しかった父は、「阪神電鉄の資金力ではオマリー、石嶺などの高額選手の年俸が払えなくなったから」と言っていた。

2002年には星野が監督となって、日ハムから片岡、広島から金本、メジャーから伊良部というふうに多くの選手を取ってきて、やっと、2003年に阪神は優勝したが、日本シリーズではダイエーに3勝4敗で負けて日本一にはなれなかった。でも、この頃は近鉄バッファローズが消滅するとか、村上ファンドが阪神電鉄を買収するというニュースも出ていたので、流石に阪神電鉄の首脳部も危機感を持ってチーム経営をしたのだろう。

それで、村上ファンドに買収されないために、阪神電鉄はなんとライバルの阪急電鉄と合併するという裏技に出た。これには本当にビックリしたな。なにせ、大阪と神戸間では阪急と阪神の線路は競合しているからね。(苦笑)

それで、阪急阪神ホールディングスが親会社となったタイガースはどうしたらよいのかというと、やはり読売巨人に勝つためにはFA宣言などをした大物選手を積極的に取りに行く必要があるだろう。しかし、なぜか、メジャーから帰ってきた松井稼頭央と西武でFA宣言をした浅村の2人は、関西出身なのに仙台の楽天に来ている。やはり、阪神は負けるとファンが怖いというイメージがあるのかもしれない。阪神ファンはもう少し大人しく行儀よくならないとね。(苦笑)


写真左は甲子園球場で盛り上がる阪神ファン。ファンが多いのはけっこうなのだが、阪神阪急ホールディングはまだ旧阪急グループの方がタイガースの資本に参加してないから、あまり大型補強が出来てない。旧阪急グループも全力でタイガースを応援すれば、タイガースは日本一になれるだろう。写真右はかつて西宮球場があった場所に立つ阪急西宮ガーデンズ内に展示されている、西宮球場と西宮北口駅の模型。僕と家族はよく西宮北口駅の周辺で買い物をした。小学校の同級生の多くは、西宮北口駅の近くにあった浜学園という塾に通っていた。
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