差別や偏見に根差すracism問題の根深さ
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そこを征伐しないと、たとえば、教育や福祉、景気浮揚政策はまじめに論じられません。
「バカだから、暗記させておけばいい」
「<しかし>の後が大切だと騙せばいい」
「ブルーカラーが食えなくても知らない」
「職人が仕事を失い、生活保護? 自業自得だ」
「オレさえ、BMWのってシャンパン飲めればいい」
……
どうしてそうなるかというと、
摂理に反した行動だからです。だから当然、倫理に反します。
そして何よりも、まちがいです。
弱者を教えることができなければ、その言語やコミュニケーションはまちがいです。
弱者を見捨てたら、強者の生活は成立しません。
私がまちがいだというのは、異人種間にも子どもができるのにそこを抑圧しようとした、純潔法のようなものも含みます。
まちがいとはなにか…難しい問題ですが、成立しないもの、人を不幸にするもの、逆効果などと考えればいいかと思います。
まあ、それにしても…
たとえば、穂積八束や上杉愼吉が教授だった、東大法学部には行きたくありません。
昭和天皇が、敬服すべき説ではないといっているように、天皇機関説も学説としてはダメです。
ちょっと考えればわかるはずですが、東大法学部支持者は、頭が弱いですね。
世俗の権威が、天の摂理に合致しているはずがないですから、これはそもそも当然のことです。
また、
恥も外聞もなく狂っているという点では、早稲田民族主義など、東大の下とされる大学の方がすごいですが、元は東大に端を発します。これは、文字通りの意味でのレイシズムです。
エッセンスを一言でいうと、
「お前らは、黄色いサルだが、俺様は帝国大学でベルツ先生から、学問を習ったから、黄色いサルではない」ということになりますからね。
ところが、反レイシズムは、人間の取るべき態度として普通であり、異常ではありません。ですから自然の摂理や倫理に反しないような形を取ります。
こうした事件も、黒人が白人を「いい気になるな」と惨殺したという形になりにくいのも、その理由によります。
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