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2020年06月01日03:39

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父、往く (#436)

side A
1. Yer Blues / The Beatles
2. Big Jack / AC/DC
3. Down Below the Borderline / Little Feat
4. Twilight / Elliott Smith
5. Breaking Glass (live) / David Bowie

side B
1. The Prophet's Song / Queen
2. トランジスタ・ラジオ / RC Succession
3. Waltz #2 (XO) / Elliott Smith
4. なんてったの / Fishmans
5. Make Your Mama Happy / Prince

bonus
1. Last Goodbye / Jeff Buckley
2. My Life / Fishmans

表題のとおり、私の父は先日の令和2年5月22日、87歳を一期として永眠いたしました。

60代に入った頃の大腸がんの手術に始まり、父の後半生はまさに病気のデパートの様相を呈していました。2度目の大腸がん手術は直腸方面のため人工肛門の装着を余儀なくされ、さらにその後も脊柱管狭窄症や脳梗塞など、入院や手術を年中行事のごとくこなし時には生命の危機にも瀕しましたが、その度に驚くべき生命力で蘇ってきていたのです。
最晩年の数年は介護ベッドの上での生活とはなりましたが、途中で介護認定が「取れて」しまうことに。それでも本人が「ベッドのほうが具合がいいから」と無理を言って借り続け、その上で酒も飲んでいたという始末であります。

しかし、よりにもよって緊急事態宣言が発された頃、急に入院しまして。顔が真っ黄色でもちろん黄疸、所見は胆管がんという、そもそも父の年齢ならずとも手術が無理でたいへん処置の難しい症状だったのですが、肝臓の中で通じが悪くなっている箇所を細い管でつないでバイパスさせるという処置により、なんとか機能は回復し顔色も戻り、10日ほどの入院で帰宅できることになったのでした。もっとも担当ドクターによれば余命は長くはないとのことでしたが。
時期が時期ですから、私は東京から動くことができず、帰ったとしてもちろん病院での面会は無理です。電話の印象ではまずまず元気そうで、余命半年とか言われても実際はその何倍も生きる話も、よく聞くからねー、と、まあ高をくくってはいたのでした。

しかしその日は突然やってきました。22日の昼過ぎに「心肺停止で病院に」との連絡が入り、4時過ぎに息を引き取ったとの電話が。
どれくらい突然かと言えば、驚いた(呆れた?)ことに父は死のつい2日前には車も運転し、また乗用型の草刈り機も運転してさくらんぼ園の除草作業をしていたというのです。目撃していた近所の人が特に驚いていたわけです。
まあ、自宅で意識を失ったわけではあり「自宅で息を引き取る」という状況にほぼ等しく、死に至るまでそれほど苦しんだ様子がなかったのは、救いではありました。

私はとにかく喪主をしなければなりませんので、その日最終の新幹線に乗って帰郷。愛猫ムギちゃんを見送って以来3カ月ぶりに電車に乗ったのでした。なお、この日の時点で東京都内の新型コロナ感染者数はひとケタが数日続いていました。ガラガラの新幹線で県外移動するリスクはもはや、きわめて小さいものと判断していいでしょう。

帰ってからは弔問客への対応、葬儀屋さんとの折衝、納棺通夜での挨拶と気の休まる間がなく、実際葬儀当日まではなかなか眠れない日々が続きました。出棺そして葬儀の日も挨拶続きでしたが、クライマックスの葬儀における喪主挨拶の折、型どおりの挨拶に続けて私はこんな話をしたのでした。

「ラスト・サムライという映画がありましたが、父をさながら『ラスト・オヤジ』のようだといった人がいました。まさに、昭和の頑固オヤジ。いわゆる戦後教育の真っただ中に少年期を送った兄と私の息子2人とはことごとく価値観が正反対で、おおいに反発したものです。ですが、そんな2人の息子を東京の大学まで出させてやり、好きなように生きさせてくれたのもオヤジ。感謝しなければなりません。
(中略)父はまた、地域の方々、親族の皆さまとの繋がりを殊の外大事にする人でもありました。酒を酌み交わしつつ大いに語り合うことを無上の喜びとしていた父にとっては、こともあろうに自らの葬儀においてそうした席が設けられないということは、痛恨の極みかも知れません。これから父のためにお集まりいただけます機会に、皆さんで大いに酒を飲みつつ父の思い出話に花を咲かせる、そんな普通の日々が戻ってまいりますことを祈念いたしまして、私の挨拶とさせていただきます。本日は誠にありがとうございました!」

そう、葬儀内容も時節柄縮小傾向で、十分スペースを取った座席配置に加えて一般参列者は焼香のみの参加。さらには「会食なし」なのです(出席相当者には料理を持ち帰ってもらう形)。上の挨拶もほぼ親族だけに向けられたものでした。

そしてこれからもいろいろな手続きは続きます。葬儀の清算、大した額ではないとは言え遺産の把握と相続、それにうちの場合は家業をどのように移行するのかという課題があります。
あとは一人残された母のこと。これまで以上に、ときどき帰って世話をする必要があるでしょう。
正直、母には父の世話から解放された余生を十分楽しんでもらいたいという気持ちがあります。そのためには私のサポートが欠かせないのです。父がいないと、自力ではごく近所にしか出歩けないのですから。

そうなってきますと、東京でバリバリ音楽活動などをやっていくことは、いよいよ難しいことになってきたという感はあります。
もちろん、このコロナ状況でしばらく皆さん活動できていない様子ではありますが、緊急事態も解けたことでいずれ再開の方向には進むのでしょう。
ただ私の場合、自分(糖尿病)もそうなんですが、特に呼吸器疾患を抱えている妻のほうが合併症のリスクが大きそうで、今後も感染リスクに対しては慎重な態度を取り続けざるを得ないと思っています。
まして、実家との往復を繰り返す身であれば、一層慎重さは要求されます。
何しろ今回の葬儀でも、会社や老人施設の規則で「東京から来た人にあった場合は出社できない」とかそういう理由で出席しなかった親族がいました。母の実家の主人とその娘なので、かなり近いほうの親族といって良いでしょう。
この段階でこの態度かね…とは思いましたが、慎重になる気持ちはわかります。週刊現代の見出しにあった「東京モンはバイ菌扱い、親の葬式にも出られない…」のコピーが身に沁みますね。

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というご報告のために歩いたようなものですが、そんなわけで今日は「物故した男性ヴォーカリスト」の声とともに歩くことにしました。
Yer Bluesだけは最初に決めていました。父と母とオレ、そして死と生の賛歌であると同時に挽歌でもあります。
以下は60曲ほどの曲群からのランダムプレイでしたが、本編ラストにMake Your Mama Happyが出てきたということが、なかなか示唆的というか啓示的であるな、という気がしております。
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