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2020年05月27日20:45

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京アニ放火殺傷事件の犯人逮捕を受けて

■京アニ放火、青葉容疑者を逮捕
(毎日新聞 - 2020年05月27日 08:10)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=6096866

■京アニ、放火事件の容疑者逮捕を受けコメントを発表
(ねとらぼ - 2020年05月27日 09:28)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=6096936

■「罪100%知るべき」=犠牲の津田幸恵さん父―京アニ放火
(時事通信社 - 2020年05月27日 14:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6097325

 先日、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』を見返して、亡くなられた木上益治(多田文男・三好一郎)さんの作画シーンに差し掛かったあたりで、涙が止まらなくなった。木上さんがシンエイ動画を離れて京都アニメーションに移られる直前の作品だったはずである。
 映画公開当時は、もちろん木上さんがどのシーンを作画していたかなどは知るよしもない。後日、ケンとチャコが夕日町銀座商店街を歩くシーンを担当されたと聞いて、何気ない風景に情感を湛えた表現の巧みさに、改めて感嘆せずにはいられなかった。
 ショッピングモールが買い物の中心になっている平成・令和の現在、昔ながらの商店街(と言うよりは市場)は、全国的にも絶滅の危機に瀕しているだろう。新型コロナの影響もあって、昔ながらの八百屋、魚屋、料理屋などが閉店の憂き目に遭っているニュースも聞いている。昭和の30年代、40年代には当たり前だった風景がどんどん失われていく。21世紀になって生まれたばかりの若い人には、こうした風景を「懐かしい」と感じる感覚はピンと来ないと思うが――しんのすけの父ちゃん・野原ひろしがいみじくも叫んだとおり、我々の世代の人間は、思わず同じ台詞を口にして、泣かずにはいられなかった。
 「キショー! 何だってここはこんなに懐かしいんだ!」

 木上さんの描く昭和の町並みには「匂い」があった。映画をご覧になった方は先刻ご承知だろうが、父ちゃんたち春日部の人々を、昭和の頃の子どもに戻して洗脳するきっかけになったのが、あの時代の「匂い」である。4DXでもない限り、視覚、聴覚に訴えることが基本である映画は、「嗅覚」を感じさせることはできない。できないはずだった。
 ところが、夕日町のシーンで、かつての子どもたちは確かに昭和のあの頃の「匂い」を感じていたのである。それを言葉で若い人に伝えることは極めて難しいが、舗装されていない道の、乾いた砂埃の中にかすかに混じっている雑草の匂いと、暑苦しくない程度の人いきれ、それくらい微妙なものが、あの時代にはあって――それを木上さんは見事な作画で感じさせてくれていたのだった。
 本当に私たちは、どれだけ大きなものを失ってしまったのだろうか。

 残虐な事件が起きるたびに、マスコミは「動機の解明」を訴える。それが事件の「真相」を究明し、同様の事件が再発することを抑止することになるから、というのがメディアが主張する建前だ。
 けれども、狂った犯罪の動機が、「狂っている」以外にあるだろうか? 犯人が何かそれらしい証言を述べたとしても、私たちの「常識」程度で、それを分析し理解し納得することができるだろうか?
 亡くなられた津田幸恵さんの父親が、「自分の子が死んでいるんです。あんな殺され方をしているんです。動機なんて関係ないでしょ」と仰る気持ちの方が、心に響く。動機の解明が何かを生み出すことになるとは思えないのだ。

 犯人逮捕のニュースなど、気休めにもならない。青葉容疑者は確実に死刑になるだろう。それだけのことである。
 私自身は憎しみの連鎖を生むだけの死刑には反対の立場を取ってはいるが、犯人に対して擁護の余地があるとも思ってはいない。弁護側が情状酌量を求めて、裁判で犯人に何かを言わせても、それが死刑を回避することにつながるとは思えない。どんな動機があったとしても、それなら仕方がないねと言えるような罪ではないのだ。せいぜい控訴で判決を遅らせることくらいしか手はないだろう。
 むしろその間に、青葉容疑者が相模原殺傷事件の植松被告のように、身勝手な自己弁護を繰り返すのではないかと想像すると、その方が頭が痛くなる。もう帰ってくることのない犠牲者の魂の苦しみを思って、肩を落とすばかりである。
 犯人への憎悪すら、心が荒むだけで、全てが夢であったらよかったのにと、現実と向き合う勇気も失いそうになってしまう。

 こんなに簡単に、私たちが大好きだったアニメを作ってきた人々の命が奪われたことに、憤りを超えた悲しみを覚えずにはいられない。
 新型コロナによる窮状を訴える芸術関係者に対する偏見が散見される現在、アニメに無関心な層にとっては、この悲惨な事件も一過性のニュースの一つに過ぎないのだろうと思うと、やるせなさで胸が苦しくなる。
 忘れられていい作品なんて、ただの一つとして作ってこなかった人たちなのだ。アニメーション史に確実に名を残す人々だったのだ。もしも生きていてくれたら、これからもどれだけの傑作・名作を残していたか分からないほど、素晴らしい方々だったのだ。
 どうしてこんな理不尽な形で、その価値が否定されなければならなかったのか。アニメに無関心な層は、これをオタクの犯罪だと侮蔑した。けれども自分の愛した作品を作り出してくれたアニメーターたちを殺傷しようとするオタクがいるだろうか? 青葉容疑者は、たとえアニメを観ていたとしても、オタクでもアニメファンでもない。単に自意識過剰なだけの狂人である。
 オタクは、その狂人のせいで、かけがえのない「仲間」を失ってしまったのである。

 京都アニメーションのスタツフたちが作ってきた作品を、そして残された人々が作り出していく作品を、もう素直に楽しむことはできなくなってしまった。
 アクションも、ラブロマンスも、ナンセンスも、スラップスティックギャグも、ファンタジーも、SFも、笑って、興奮して、感動して、そして最後はどうしても泣いてしまう。
 こんな見方をしたくて、京アニ作品のファンになったわけではなかつたのに。
 もうこの世にはいないみなさんの魂の安らぎを、今はただ祈るばかりである。
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