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2020年05月05日23:50

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『キャンディ♥キャンディ』は封印されなければならなかったのか?

■禁断の手術に未来予知のような符合──漫画が封印されるのは、一体なにが原因なのか?
(ダ・ヴィンチニュース - 2020年05月05日 20:11)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=140&from=diary&id=6072190

 『キャンディハートキャンディ』のマンガ・アニメをリアルタイムで観ていた世代は、もうアラフィフ、アラカンだろう。『なかよし』に連載されていたのが、1975〜1979年だから、完結して既に40年である。平成生まれは、その存在すら知らない人の方が大多数だろう。
 記事にもあるとおり、現在、『キャンディハートキャンディ』は原作は絶版、アニメは再放送不許可となっており、読むこと、視聴することが困難である。Amazonでは全巻が文庫版・新書版ともに揃いで1万円以上の高値がついているから、簡単に買ってねとも言いにくい。少女マンガ史を語る上では絶対に外せない名作でありながら、なぜこのような事態に陥っているのか。

 原作者水木杏子(名木田恵子)と、作画のいがらしゆみことの間に起きた「裁判」の経緯を知っている向きには今さら説明は無用だろう。現在、この二人は完全に絶縁していて、漫画の再版も再アニメ化も、両者の許諾が取れないために不可能となっているのだ。
 この記事では、アニメのリメイクを原作者の水木が反対したことが原因、と紹介している。しかし、これは原作者と作画者が決別した直接の原因ではない。「この後も多くの問題があり」と簡略化されているが、いがらしが、水木の許諾を得ずに、自身の作画したキャラクター・グッズを販売していたこと、これが水木の逆鱗に触れて裁判に発展することになった。結果は水木の完全勝訴。いがらしは水木の承認を得なければキャンディのキャラクターを使用できなくなった。
 ところがいがらしは、未だにキャンディの著作権は自分にあって、水木は原作者ではないと主張している。これでは「仲直り」など出来るわけがない。いがらしは『ジョージィ!』の原作者・井沢満とも権利契約でトラブっており、どうも自身の権利を拡大解釈しすぎる傾向にあるようなのである。
 率直に言って、『キャンディ』の続編やリメイクは、いがらしが水木に謝ればそれで問題は全て解決する話である。しかし、自身の作画したキャラクターに異常なまでに執着していると思しいいがらしに、キャンディのキャラクターを「お願いして使わせてもらう」ことは死んでも嫌なことなのだろう。
 結果として、『キャンディハートキャンディ』は、二人の作者がこの世を去らない限り(もしかすると遺族の意志が継続されればさらに死後七十年)、封印され続ける作品となってしまった。「世の中には、読まなければならない本などはない」という言葉があるが、それでも「たくさんの人に読んでほしい」という願いを集める本は確実にある。
 『キャンディハートキャンディ』はそんな本の一つだと思っていただけに、「忘れ去られた名作」に数えられることになるのが悲しいのである。

 『キャンディハートキャンディ』裁判のことを思い返すにつけ、「漫画は(作品と言ってもいい)誰のものか」ということを考えないわけにはいかない。
 もちろん「著作権」という基準に基づくならば、それは「創作者のもの」であることは論を待たない。私が考えるのは、発表されることが前提となっている作品の場合、それは最終的には享受者全員の共有物になると判断するのが正しいのではないか、ということだ。作者がいて、そこに作品があっても、それを読者や視聴者が鑑賞しなければ、真に作品が完成したとは言えないのではないだろうか。
 しかも、いったん世に出たものを、作者が一方的に封印するような行為に及ぶことが果たして許されていいのか。それは既に我々の「共有財産」になっているのではないか。
 その意味では、『キャンディハートキャンディ』封印の責任は、原作者・作画者の双方にあるのだ。自分たちの思い入れの方を読者の希望よりも優先させてしまうのは、権利的には妥当だとしても、やはり「わがまま」の謗りを受けても仕方がないように思う。

 原作漫画の方は持っているから、読み返すことは可能だけれども、アニメはそうもいかない。生きているうちに封印が解けてくれないかと願っているのだが、正直、「公式としては」望み薄である。ネットには、一部ではあるが、違法アップされた映像が消されては復活を繰り返している。基本的に、著作権違反が明確な行為に賛同する気はない。
 しかし、杓子定規に「違法はダメ」と言う気にもなれないのは、『キャンディハートキャンディ』のように、多くの作品の封印の理由が、あまりにもくだらなすぎるからだ。
 どこそこの表現がサベツに引っかかるとか、どこぞの団体から言いがかりを付けられて、なかったことにされてしまう封印作品があまりにも多すぎる。黒人を戯画化したってだけで、手塚治虫『ジャングル大帝』や藤子・F・不二雄『ジャングル黒べえ』は、一時期、封印されていたのだ。現在の目で見ても、それらが黒人を差別するために描かれていたと解釈するのには無理がある。
 『ウルトラセブン』第12話「遊星より愛をこめて」が、その反核メッセージが無視されて、宇宙人に「ひばく星人」という肩書きがついていたという一点だけで封印させられた件などは、馬鹿馬鹿しいにも程があると言える。違法アップには、そうした「くだらない封印」に対する視聴者の抵抗活動という面は確実にあるのだ。さらに言えば、そうしないと「違法ビデオ」の高騰化を呼ぶということもある。

 違法は違法、許せないというのならば、全ての作品を著作権者の勝手な思い込みや、外部からの言いがかりを理由にして、封印作品にしてはならない。差別表現を許容しろと言いたいわけじゃないよ、封印する必要のない作品が封印されてしまう事態を何とかしなければならないと言いたいのだ。
 『キャンディハートキャンディ』の封印の原因も、「原作者と作画者との喧嘩」って、本っ当にくだらないと思わないか?



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