■自宅で体験した怪奇現象「黒い人影が玄関からキッチンの壁に向かって歩いていた」「誰もいないのにノック」
(キャリコネ - 05月03日 08:20)
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「トイレの花子さん」もそうだが、幽霊はなぜか狭くて暗い空間が好きである。自宅に限らず、地下室に病室に更衣室にリネン室、納戸に押し入れ、天井裏にエレベーター、果てはトンネルやら井戸やら茶碗の中と、何を好き好んでそんなところに出てくるのってくらい、狭い場所を選んで現れている。と言うか、大草原やら大平原に現れるサウンド・オブ・ミュージックみたいな幽霊とか、滅多に見ないよね。
マジメに考察するなら、閉鎖空間に現れる幽霊の殆どは、本人の暗所恐怖症、閉所恐怖症によって生み出される錯覚や幻覚だと思われる。小難しい言葉を弄しなくても、不安や恐怖でありもしないものを見てしまうというのは誰にしもあることだろう。開放的な気分でいる時には錯覚は起きにくいものだ。
比較的、広い場所で遭遇する幽霊や妖怪の類いでは、水木しげるがかつてニューギニアの密林で遭遇したという「ぬりかべ」が挙げられようか。ただこれも、単調な行進の果てに、突然前進できなくなってしまったというのだから、広いはずの空間が閉鎖空間に置換されてしまっていると見なすことができる。これは、極度の疲労で足が動かなくなってしまったのが、あたかも何かに行く手を遮られたように感じられたものだろう。
同様の現象は地方によってさまざまな名称で呼ばれており、「あしまがり」「すねこすり」なども同種の妖怪だと思われる。
「ぬりかべ」は、柳田国男の『妖怪談義』では、福岡県の遠賀郡に現れると言われている妖怪だが、なるほど、夜中に遠賀川から海岸にかけての長い道をだらだらと歩いていたら、だんだんと脚がもつれるような催眠状態に陥ることもあるんじゃないかと思わせる。
私も人並みに怪奇現象に遭遇したことは何度となくある。面白いことに、ものすごい怖がりだった子どもの頃は全くと言っていいほど、幽霊や妖怪を視たことはなかった。ところが、大人になって、そんなものを信じなくなったら、やたらと視るようになっちゃったのである。だから「信じない人の前に幽霊は現れない」というのは大間違い。信じようが信じまいが、脳が疲れやすい年齢になれば、錯覚や幻覚は普通に起きるのだ。
困ったことに、分別があるつもりの年齢になって、うっかり幽霊を視たりすると、何の疑いもしないで幽霊の存在やら死後の世界やらを信じてしまう人が結構いらっしゃることだ。いや、個人で信じる分には別にどうってことはないのだが、こちらに向かって何かと折伏しようとしてくるのがね。墓参りちゃんとしてるかとか、運気を呼ぶいい買い物があるよとか。
私が幽霊も視てるし死後の世界も垣間見たことありますよ、でも信じてませんと言うと、えらく怒られてしまうのだ。なぜ視ても信じないのかと詰め寄られるので、幽霊なんて誰でも視ますよ、人間の脳は錯覚するように出来てるんですと言うと、ますます怒られてしまう。
どうもその人の中では、この世ならざるものを視てしまう自分は「特別」という意識があるらしい。だからそれが「普通」のことだと言われると、アイデンティティの崩壊を引き起こしてしまうようなのだ。
他に自分を支えられるものは何もないのかねと言いたくなるが、言ったら完全に人間関係が終わるなあと察せられるので、死後の世界があったらいいですねえ、懐かしい人にまた会えますからとか何とか言って誤魔化して、話を終わらせるのである。
この話の落ちとしては、じゃあ私がどんな幽霊に出会ったのか、死後の世界はどんなだったのかを詳しく語ればよいところだが、残念ながら私の妻が超の上に超がつくほどの怖がりなので――まあ、全部、夢か幻みたいなものだからとお茶を濁すしかないのである。
どっとはらい。
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