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2020年05月01日09:34

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ムーミンのジャコウネズミ

ムーミンにジャコウネズミというキャラクターがいる。
アニメの中ではいつも「無駄じゃ無駄じゃ」といっていた。ジャコウネズミはなぜそれが「無駄」なのか説明しなかったから子供の私は「彼が無駄という理由」を子供ながらに考え納得した記憶がある。
かれは哲学者で思想は「すべてのことは無駄」である。もっともこれはさまざまに突っ込むどころが多く「ならば生きてるのが無駄。であるであれば自殺すればいい。しかし自殺も無駄である」という堂々巡りになってしまうからだ。でも無駄の中に優先順位をつければこれはかなり的を得た思想だと考える。仏教においては色即是空空即是色。形あるものは空であり空は形ある。空をとらえるとそれは何をしても無駄なこととなる。ジャコウネズミの哲学はここをターゲットにしたものだ。だがこの部分での仏教のすくいどころは空即是色。空は形となって輪転するところだ。しかし長スパンにおいて空即是色と空が形になるところまで見届けられるか?ケースにもよるがそれは本当なのか?という疑問はでるはずだ。それを「われ思う・故に我あり」と自分の経験感知と意識ある自分にとってはどうなんだ?ってところはあるのではないか?それは自分の意識とはずれたところで成就するかもしれないがそれは自分にとって意味はあるのかと考えるなら無駄の哲学というのは正しい。

最近自分の過去を振り返って残したものをみるといくつかの作品、いく冊かの作品ファイル、その程度しかない。60年近く生きててこれが自分の成果なのかとおもうと自分の実力の無さに情けなくなってしまう。趣味に関して人に影響を与えたかもしれないがそれだって50年もたてば誰も覚えていない。自分でウィキペディアに自分自身の項目を作るほどアホウでもないつもりだし。生きててもいずれはすべて無になりそれは無駄になる。作家がいろいろゴミを集めてでかいオブジェなんか作っているが死んだらそんなものどうするんだと思う。よほど良い作品ならともかく素人作家の作品なんて邪魔にしかならない。例えばだ。ある人のところに5円玉で作り上げたでかい五重塔がある。作品としてもすごい。でももらった人どうするんだ・部屋隅に何十年、埃をかぶって粗大ごみあつかいだ。最終的にはそうなる。どれほど自分が手をかけて作り上げた物であっても。
もちろん大金で売り買いできる価値であれば別だが。作品は自分の手で潰すにはさすがにつらいからこれは処分を誰かにゆだねる。かな。

そう考えるとやはり無駄の哲学は生きてくる、人間は今生きててもいずれ死ぬわけでやはり私はその時の死に際はきれいにしたい。(ああ、ここでちょっと違ってきた。臓器提供は無駄にはならない)深く考えてみよう。無駄の哲学は人生と生活ののシンプル化の究極ともいえる。いまでいうミニマリストってやつか。無人島に何を持っていくか というのに近いがそこで人生を終えるまで考えるとどうなんだろう?、ムーミンに戻って考えてみると現実的なミニマリストはテント生活のスナフキンだろう。スナフキンは若いから未来があり希望がある、だから自分の過去も未来も無駄とは思っていない。もしスナフキンが年老いて病に倒れたら??若いころの冒険譚を口述筆記でもするにしても・・一歩譲って「後世に何か残すことで人は無駄ではなくなる」という考えもあるが多くの人は死んで100年たったら忘れられる存在だ。99%がそうだろう。仕事だってそうだ。子孫を残す有意義?それは独身者にとって意味のないことだ。スナフキンも結婚し子孫を残しそうにないからね


文章がまとまっていないが言いたいことは自分の過去と未来を見た時、人生そのものに無駄を感じているということだ。もちろん日々の生活において楽で快適な生活は捨てられないからディオゲネスのように樽に住むわけにはいかないが。自分自身の存在そのものを問うのが哲学の始まりならば「自分は自分にとってあるいは世界にとって必要な存在か?」と自分自身に投げかけて自己肯定をしたいがために様々に理屈をつけて「存在の必要」を云うのが通常なのだろうがもう一度本当に必要か?と問いただすなら「別に要らないよね・・」となってしまうのが現実ではないだろうか(特に独身者)
すべて無駄なら身辺整理も無駄でゴミ屋敷の中で死に事になるが(ジャコウネズミは哲学書1冊とローブとハンモックしかもっていない)が私はミニマリストではないからここで美学が必要だ、身辺整理してきれいに逝きたいからジャコウネズミが「身辺整理や遺言書など無駄じゃ無駄じゃ」といってもそこは違うかな。

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