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2020年04月29日17:59

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米副大統領、マスクつけず病院視察 ルール違反に批判も

■米副大統領、マスクつけず病院視察 ルール違反に批判も
(朝日新聞デジタル - 04月29日 15:41)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6065551

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米国のペンス副大統領が28日、新型コロナウイルスの対応にあたる病院を視察した際、病院のルールに反してマスクを着用しなかった。ペンス氏は「検査を受けており、感染していないと分かっている」と釈明したが、ホワイトハウスで新型コロナの対策を担っているだけに、米メディアなどで批判が上がっている。

 ペンス氏が視察をしたのは、米国を代表する病院の一つで、ミネソタ州ロチェスターにあるメイヨー・クリニック。同病院は、新型コロナの感染拡大を防止するため、すべての患者、職員、訪問者がマスクを着用することをルールとしている。

 米メディアが報じた映像では、ペンス氏が院内を視察した際、周囲の人は患者やスタッフを含めて全員がマスクを着けていたが、ペンス氏だけはしていなかった。AP通信によると、同病院が行っている検査や研究をめぐる話し合いでは、米食品医薬品局(FDA)のトップや地元の州知事らもマスクをつけて参加したが、やはりペンス氏だけしなかったという。
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アメリカの副大統領と言えば、いざという時は核ミサイルの発射ボタンを押す人である。その人にとって自分の中の合理性を磨く事を怠るはずもはく、また、同様に空気に流されるなど断固拒否するだけの胆力も鍛え続けているはずである。

ルールだから、という理由だけで核ミサイルのボタンを押して溜まるか、という日常を生きている人たちにとって、バカな発言をする大統領もそれを真に受けて洗剤を飲んでしまう狂った民衆も、同じアメリカ国民であろう。

だからといって病院内でのマスクを拒否してまで、話題になる事が政治的にどうなのだ、という話は、部外者はともかく、民主党陣営からすれば、ネギが鴨肉しょってきたようなものであろう。マスコミも絶好のネタである。棚から牡丹餅という好機と考えているだろう。

だが、WHOの勧告でも症状のない人はマスクをする必要がない、というものがあった。最近は知見が深まってきて、無症状感染者も感染源になる可能性があるという指摘もされるようになってきた。しかし実際には、感染源としては症状よりも年齢の方が強く影響するという話も聞く。

全ての人が無症状感染者の可能性があるなら、マスクをすることで、感染の可能性を低くすることは、病院などのシビアリスクの場所では意味もあるだろう。よく分からないなら一律でやった方がいいというのはルール作りの基本である。病院だって、厳密に言えば色々とあるだろうが、それでは巨大組織は成り立たない。

だからルールにした。それに従わない人が来た。普通は入室を拒否すればいいではないか、と思うが、相手が副大統領である。その上にはあのトランプがいる。政治である。政治とはルールをひん曲げるためにある、そう語った王がいたとかいないとか。だから、入室を拒否しなかった。カメラマンたちも写真を撮った。そこにはひとりだけマスクをしていない人がいた。不自然である。だれだ、こいつは。これが我が(アメリカの人たちのこと)国の副大統領であるのか。

確かに無感染であるならば、検査からその瞬間までに感染していないとは言えないが、マスクをする理由はない。マスクは最大限、感染させないためにするものであるという前提がある。無感染ならその可能性がそもそもない。もちろん、他の病気を持っている可能性も捨てるべきではなく、それが病院にいる人にとっては致命的になる事もある。

感染爆発を防止するには、幾つかの着目点があろうが、ウイルスの流れをどこかで遮断すればいい。感染者の中で増幅させない事、増幅しても体外に排出させない事、排出されても他の人に届かない事、届いても体内に取り込めない事、取り込んでも増幅を押さえる事、増幅しても症状を悪化させない事、悪化しても死亡させない事、これらがサイクルとなって、感染症対策も医学的対処も進んでいる。

体内で増幅させないためにはワクチンの開発があたる。体外に排出させない事には、マスクやコフエチケットがあたる。他の人に届かせないためにソーシャルディタンス、ステイホーム、クラスターとなる施設の臨時閉鎖がある。体内に入れないためには、うがいと手洗いがある。

さて、マスクは果たして防御壁として働くかという話がある。多くの人はそう考えているし、少しは効果があると思っているはずだ。なぜなら、出てゆくものをシャットアウトできるなら入ってくるものだってシャットアウトするはずである。これが基本的な理解である。

しかし、マスクの役割はウィルスを外に出さない事はなく、ウィルスを含む飛沫を布に付着させる事にある。飛沫というウィルスから見れば都市みたいなものだから効果がある。ひとつひとつを完全に捕捉する事はできないはずだ。この機能を担うのがサージカルマスクになる。内から外に出る感染(OUT)を防止する事を目的としている。

では外から内にはいる感染(IN)を防止するのは何かというとN95マスクである。これは医療機関では絶対に必要な装備でこれが不足するのは、銃弾もなく戦争をしろと言われているようなものである。だから医療従事者>一般という公式が成り立つ。

よって、IN感染を防止するにはサージカルマスクや家庭用マスクでは機能が足りない。また日本にはそもそもサージカルマスクには認証制度がない。FDAはサージカルマスクにも認証を与えている。

これは恐らく日本のマスクはそれなりの性能をその競争原理などによって有しているという判断もあったのだろう。いずれにしても、綿マスクであろうと不織布であろうと、外に出さないという機能には問題がない。月光仮面のように顔を布切れで覆っても十分に機能は果たすはずである。

しかし、IN感染を防止する機能としてはどうか。インフルエンザで実験したところ、罹患率は100%であったので意味がないという結論は成り立つ。しかし、それは20%の可能性を何回繰り返したら100%という結論が得られるかという問題にもにていて、実験期間が長くなれば100%に近づくのは当然である。

問題は、その何回かを防止できるかという話で、付けている群と付けていない群で、たとえば5時間遅らせる事が出来たという結論が得られたならば、そこには何回かは防止に役立ったという結論が得られる可能性がある(それ以外の条件もあるから断定はできない、それには別の実験が必要である)。

状況的に考えれば、空気中に漂う空気を吸うとき、その多くは、周囲の空間から入ってくるはずである。布部分を通過する空気量はそんなに多くない。だから、喋るとマスク部分はぺこぺこ動くはずである。呼吸によって空気中を漂うエアロゾルがどれくらい取り込まれるか、という話で、空気の入り口が小さければ、それだけ流量の速度は速くなりそうである。それだけ多くを取り込む可能性がないか、という気もする。マスクをすることがかえって感染を増加させる可能性さえある。

しかしマスクが花粉症に効果がある以上(あるかどうかは本当は知らない、だって併せて薬も飲むし)、エアロゾルにも効果があると考えるのが妥当であろう。少なくとも、マスク無しよりもマスクという防御壁がある方が量が減るのは当然であろう。

一方で空気の流れというのはひとつの学問としても深いものである。例えば鼻毛(Nose hair)の役割であるが、あの毛が何かを捕まえるという訳ではないのだろう、という気がする。空気の通り道にあのような棒状のものがある事で空気の流れを変える事に意味があるのだろう。それによって、押し返される空気もあれば、壁に当たってから入ってゆくものもあるだろう。それが浮遊物が体内に入る事を防止するのではないか、という話になる。だから必要なら鼻毛を綺麗に抜いた人とそうでない人の感染率も研究すべきだと思うが、研究者ではないので聞いた事はない。

ウィルスがエアロゾルを吸い込む事で呼吸経由で感染するのか、それとも、実際は、エアロゾルが手や口回りに付着して、口経由で飲み込む事で感染するのか、どちらが多いかでもマスクの効果も変わってくるだろう。

汗だって感染源になるのかどうか知らない。今回のコロナウィルスは、喉や肺は最終地点で、その前に血管中を駆け巡るという話も聞く。血栓を作る点が独特の症状であるという話である。そのためその炎症を抑える事が対処療法としても効果的であるとも聞く。

いま世界中の治験が集まっている時期である。その多くは偶々であったり、まだ分かっていない条件と組み合わせる事で効果を発揮するだろう。幾つもの有望な治療法が見つかっては消えてゆく状況だろう。

そういう中でマスクをするという行為は、極めてシンボル的なものになっている。キリスト教で言う所の十字架とほぼ同値であろう。故に、マスクを踏みにじるものは棄教になるのであるし、踏まないためになら海中の十字架に張り付けられても構わないと言い出すのである。

戦いのシンボルであるなら、それを付けていない者は戦いに参加していないという分かりやすいレッテルを張る。実際のマスクの効果などもうどうでもいいのである。そりゃそうだ、木を十時に打ち付けるだけで突然に何か別物になってしまう、それを素直に信じる地球である。

今、我々に求められているのは、効果のある治療である。では団結はどうか、三密は避けろと言われてソーシャルディスタンスと言われたが、離れるのは物理的な距離だけで良い、心は繋がっていようと事で、今ではフィジカルディスタンスと呼ばれるそうである。

当然、団結がある以上、村八分はセットである。村八分にされる方が安全ではないかという考え方もあるが、村八分にされていては抗体を得る機会させ喪失する。アメリカ大陸に先に辿り着いた人々の子孫が天然痘のためにどのような目に合ったかを考えれば避けるべきとなる。

人々は危険なものを社会の外に排除する事によって安全性を高めると考える。それが僅かな人数であれば効果的である。しかしマイノリティも暫くすればマジョリティになる。そうなったら排除は出来ないから取り入れるしかない。そういう歴史の積み重ねで人類は来た。

マスクはシンボルである。故に、このような報道がなされる。それを良い事とは思わない。と同時に病院の中ではマスクはする方がいい。しない事は良い事とは思わない。それでもしたくなかった。その気持ちも分からないではない。マスクってどんな新品でもなんか匂いがするんだもの。

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