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2020年04月19日08:36

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続々・音にも聞け目にも見よ

先週のNHKEテレ「ヘウレーカ」はちょっと面白かった。

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「イヌノフグリはどこへ行った?」と言うタイトルであり、絶滅危惧種の植物についての考察であった。上記の写真でまったんのお隣りの方は幾度も当番組に呼ばれている東大教授で植物学者の塚谷裕一先生だ。このふたりが映っているところはおろし金職人の工房であった。

手製のおろし金を造る職人さんというのも全国では数名だけでこちらも絶滅危惧種であるとあった。ベテラン職人の勅使河原さんに訊いたのはなぜ絶滅しつつも続けられたのか?とあり、答えは、少ないながらも手製のおろし金の需要があったからとあった。

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絶滅植物もしかり。これがなくなっては寂しいと必死に保護する人がいるからだ。それは何に起因するかというとつまりは多様性の素晴らしさを人は知っているからとあった。
なれど人間は自分勝手な自然観で世界を生きているばかりに…ということのようだ。
ある種を絶滅させると生態系が変わる懸念があり、そうなると世界が変わってしまうのだ。だからこその塚谷先生方々の努力なのであろう。示唆に富んだ番組でした。

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左の青いのが外来種でイヌノフグリを駆逐しているオオイヌノフグリ。右が絶滅寸前のイヌノフグリ。ちなみに外来種がすべて駆逐側ではないそうです。

昨日はもひとつの録画のNHKアーカイブ「あの人に会いたい」を観たら、こちらのご老人であった。

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名を吉岡隆徳(たかよし)さんといい初めて聞くお名前であったが実はすごい人であり、日本の100m短距離走の先駆けとなった人だ。昭和59年に傘寿手前でお亡くなりなので、明治生まれの方だ。
前々回であるから1932年のロス五輪の100m走で決勝で6位入賞を果たしており、その頃の日本記録の10秒3は四半世紀の間破られなかったとあった。ちなみに吉岡さん以後いまだに日本人で100mのファイナリストは出ていないのだそうだ。

そしてこの方の通り名がなんともかっこよかった。彼はこう呼ばれていたのだ。

「暁(あかつき)の超特急」

ね?かっこいいよねえ。スピードを現す表現のなかに気品が感じられてすごい。
スピードの通り名ではやはりこの方を思い出す。

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伝説のF1パイロットのアイルトン・セナさんだ。古館さんが名付けた「音速の貴公子」はいまも記憶に残る。
スポーツの通り名で僕にとっての二大名称は次のふたつだ。まずこちら。

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巨人と大洋ほかに在籍していた元プロ野球選手で左翼手の平山菊二選手だ。
フェンス越えの本塁打になるはずだった打球を幾度も好捕したことから、彼は当時「へい際の魔術師」と呼ばれ、川上哲治さんの「弾丸ライナー」に匹敵する名通称であった。ちなみにいずれの名付け親もプロ野球記者であった大和球士氏によるものである。
もうひとりがこちらだ。

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元巨人軍投手の宮田征典投手である。絶対的な抑えの切り札であり、勝ち試合になると夜の8時半頃に登板したことからついたあだ名は「8時半の男」とあり、日本球界で時間が名になった選手はいまだに彼ひとりである。カッコいい。

この「8時半の男」と聞くと思い出す小学校時代の級友がいる。Yくんだ。
僕とYくんは名前順でや行であったため、よく座席が隣同士になったものだった。彼はとても明るくひょうきんかつ給食のおかわりを何杯も食べる豪傑でもあり人気者だった。

そんな彼と僕とが6年生の時だ。ある時Yくんが自分の股間を僕に触らせるのであった。するとそこにあると思しきいわゆるひとつのまあお〇ん〇んが大きく固くなっているので当時まだ何もしらないおぼこだった僕はYくんの股間のいちもつに驚愕したものだった。

そしてYくんそれをもみもみして♡と言ってくるので言われたとおり僕は右手で彼のものを揉むと、こりこりとした感触であり、それは後に口にするなまこの酢の物のこりこりとした食感に通じるものであった。

彼がそうやって僕に限らず隣席の友達に自分のものを触らせる時間が決まって朝の9時半だったことから、級友たちは彼のことを

「9時半の男♡」

と呼んで珍重したものだった。あははははははは、ちん重♡。
なんかだいぶ脱線しちまったよなあ。
通り名で他に記憶に残るのはプロ野球だけでも「ハマの大魔神」「ハマの番長」「牛若丸吉田」「ミスターツーラン」「まさかり兆治」「猛牛千葉」「闘将星野」「権藤権藤雨権藤」「スーパーカートリオ」「赤疾風(はやて)の男」「青い稲妻」「鉄人衣笠」「世界の王」「ミスター」といっぱいある。まだまだ足りなかろう。

いいよねえ。こんなふうにかっこいい通り名で呼ばれたいよねえ♡。
僕はついぞ通り名で呼ばれたことがなかったかというと一度だけある小学校4年生の時だ。数年前に鬼籍に入った異能の漫画家・吾妻ひでお先生の描いたエッチな脇役の「ポルノ虫」をグレートマジンガー風にアレンジして僕が描いたところ、これが級友たちの間で瞬間沸騰して人気となり、皆が僕のことを「グレートポルノ虫タクちゃん」と呼び始め、それがいつの間にか詰められてこう呼ばれるようになった。

「グレートタクアン♡」

いやあ実にイヤだったよ(-_-;)。このおかげで母は学校に呼ばれてお宅のお子さんはこんな淫靡なものを描いてクラスにバラまいているんですよと担任の先生から注意を受けたのであり、この話を僕は成人してから母から聞かされた。あの時の母はとても悲しい目をしていたな(´;ω;`)ウゥゥ。

とまあそんなところである。どうせ呼ばれるなら雀士の蟹江凱みたいに「京浜無宿」とか呼ばれたかったよなあ(*´ω`*)。
皆さんはなんと呼ばれていましたか?

昨日の結婚記念日はなんだか外は暴風雨となっており終日ほぼ家にへばりついていた。ほんとは花屋に出向き祝いのお花を買ってきて家内を喜ばせたかったが次女連れての風雨中の外出は無理だったのであきらめた。

そしたらともみがだったら折り紙でお花を折ろうよ!と言い出したのでそのテがあったか!と思い立ってふたりで折り花を折った。

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これを帰宅した家内に渡したところ、たいへん喜ばれた。ありがとうの、ともちゃん♡。
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