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2020年04月17日10:35

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頑張らない頑張りを。(今思うこと)

賛否について様々ということは、
人によってもののみかた(同じ物事をみる方向)や、
それぞれが置かれた立場や背景によってフィルターがかかってしまうから。

それは違うよ、と言われるかもしれませんが
模範解答というものがどこにも存在しない今、
ひとつの考え方としてわたしが思うのはこういうこと。

たとえば、
怪我や病気をしたときに、「お見舞」という名前のついたお金を
いただいたり、持参したりすることがありますよね。
これは、決してその人の収入を補填するためのものではないと思うんです。
(多少の軽減はできたとしても、
 賄ってやろう、と考えて持っていく人は極僅かよね。)
いくらかの足しにしてもらおうとする「気持ち」。
その「足し」は物理的かもしれないし、精神的なものかもしれない。

いま、政府が世帯だか個人だかに配布しようとしているのは
それと同じじゃないか、と考えれば、
それは、経済活動のための資金ではないという事実に行き当たるのではないでしょうか。
むしろ、
「経済活動はしないでください。」
そのために
「ほんの僅かですが、これでなんとか今をしのいでください。」
という、お見舞いの「気持ち」ではないかしら。

経済は元気になってからみんなで考えれば
取り返す手段はきっと見つかる。
だから、いま、公から配るのはクーポンや商品券じゃダメなの。
如何様にもあがいて生き延びていこうとする人たちにとっての
拠り所にはならない。

たしかに、個々人に10万円ずつ配れば
それに見合う財源が必要になる。(単純な掛け算でだれもがわかること。)
今の予算では足らなくなるから国債の発行などになって
後世に負の財産として持ち越さなくちゃいけない。
冷静にソロバンを弾けばそういうことになる・・・けれど・・・

いま、緊急性を要するなかでできることとして、素直に受け止めて、
(皆が皆感謝せよ、と言っているわけじゃない)
落ち着いてものが考えられて、経済活動が正常に戻せるようになってから
(もしかしたら、これをきっかけにして、活動の考え方やあり方は
 かわっていくかもしれないけれど)
精算していけばいい。

わたしたちは、それを「おまもり」のように握りしめて
身をかがめて時が過ぎるのを待つ。
もちろん、いま起きていることにたいして、
ためになる能力を持って動いている人たちの頑張りを
精いっぱい応援する。

今のCOVID-19対策について
一般市民が(応援)できることは大きくふたつに分かれると思うの。
ひとつは
感染爆発させない努力をすること(集団感染の元をできるだけさける)

もうひとつは
持ち出さない努力。

前者は「3密」(密接、密集、密閉)を避けるということに代表されているし
後者は接触を8割減らすということ。
互いに似ていたり、関連性があったり、重なっていることもあるけれど
実は別のことで、目的をごっちゃにしちゃいけない。

後者ができなければ、当然のごとく今の様な「自粛」期間は伸びる。
短期間に集中してやることに対して、今の法整備では拘束力はない。
「ダメと言われたからしない」という習慣が身についてしまっている社会性は
実はこんなところに弊害をもたらしている。
「どうしてダメなんだっけ?だったらどうすれば良いの?」
を、自分たちの頭で考えられる、日本人ってそういう民族だったと思うんだけどな。

「お願いされたらイヤとは言えない」
と表現すると、良い面も悪い面も含まれてしまうけれど
いまは、そっちに流れていいように思う。
「お願い」というトーンは、
ちょっと考えてみれば「実はあたりまえ」であることを
わたしたちは知っているはずです。

ざんねんながら長期化の兆しをみせる現状です。
へたに「頑張らない」で
今の状況をあるがままに認めて
馴れる/馴染めるようにしなくちゃ、わたしたちの心は
みんな折れてしまう。

大変で、辛くて、周りがみえない
それは、わたしだけじゃない。
普段通りにいかないことで、みんなが皆それぞれに苦しんでいる。
だから、ね・・・

頑張らないように頑張ろう。
わたしはいま、そう考えるように
考え方を切り替えようとしています。

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