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2020年04月11日07:54

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追悼・大林宣彦監督/ぼくたちの青春映画

■映画監督の大林宣彦さん82歳死去 肺がんで闘病中
(日刊スポーツ - 2020年04月11日 00:47)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=6042853

 聞きたくなかったニュースをまた聞かされる。
 訃報というのはそうしたものだし、大林監督が長らく癌治療で闘病されていたことは知っていたから、覚悟が出来ていなかったわけではない。
 けれども、やはり「今日から大林宣彦のいない人生を生きなければならない」という事実の前には、覚悟以上のショックを受けないではいられないのである。もう、大林監督の新作が作られることはない。そう認識することがつらい。
 大林宣彦の名声を形成したと言える「尾道三部作」以前、大林監督は、作る映画作る映画、ことごとく酷評されていた。それこそ商業デビュー作の『HOUSE』から、「ひっくり返したおもちゃ箱のような」と形容されていたように、特撮、アニメを駆使した独特な映像は、普通の映画ファンには「おふざけ」としか映らなかった。
 友人にも映画ファンはまあまあいたのだが、『ブラック・ジャック 瞳の中の訪問者』『ふりむけば愛』『金田一耕助の冒険』『ねらわれた学園』と、大林映画を欠かさず追いかけていたのは私くらいのもので、なぜそんなに大林映画に入れ込むのか、理解できない、と首を傾げられたものだった。
 しかしそれらの映画を劇場の暗闇の中で観ている間は、紛れもなく私の青春の日々、一度通り過ぎたら二度と取り戻すことが出来ない、かけがえのない時間だったのだ。ショックを受けずにいられるはずがない。私の青春は、本当に終わりを告げてしまったのだから。

 とまあ、こういうリリシズムに浸ってしまうのが、世のアンチ大林宣彦からすれば忌み嫌われてしまう理由になってるんだけどね。でもねえ、徹底して「少女」のその瞬間の美しさをスクリーンに定着させることに腐心してきたこと、監督自身が少女たちに恋していなければ描けない10代の輝き、それは後続の映画作家たちが真似しようとしても真似できなかった、まさしく「映像の魔術」に他ならなかった。
 名前を挙げちゃ悪いけどさ、後続の「少女」映画作家たち、金子修介も今関あきよしも庵野秀明も、ヒロインが大林映画ほどには煌めいてはいないのだ。それは、決して美少女とは言えなかった小林聡美を『転校生』や『廃市』で驚くほど輝かせたり、薬師丸ひろ子映画のテレビ版リメイクの代用品扱いだった原田知世を、『時をかける少女』で、一躍、日本映画史に残るヒロインに仕立て上げたりした手腕にも表れている。
 俳優本人も気がつかない一瞬の表情や仕草、それを捉えるのが絶妙だったのだ。だから、一般の観客が『時をかける少女』のクライマックスで失笑している中、大林マジックに魅せられてしまったオタクたちは、喝采を叫ばずにはいられなかった。
 『時をかける少女』は、テレビドラマ、映画、アニメで何度もリメイクされてきたが、日本における「少女」タイムトラベルものの原点としても未だに生き続けている。もちろん大林版以前にも、『タイムトラベラー』『続・タイムトラベラー』などの映像作品はあるが、その影響力という点では、大林版に如くものはない。

 大林宣彦映画は「少女」映画でもあった。それは今でも変わらない。80歳を超えてなお、大林監督の映画は「青春」をテーマにし続けていて、それが一般的な映画ファンが鼻白む理由になってはいるのだが、ドハマリした人間にとっては、これ以上はないという至福の時間を与えてくれた福音以外の何物でもなかったのだ。
 それぞれの世代に、大林映画のヒロインに恋した経験を持つ人々がいるだろうと思う。『時をかける少女』の原田知世を筆頭に、『さびしんぼう』の富田靖子、『野ゆき山ゆき海べゆき』の鷲尾いさ子、『ふたり』の中嶋朋子、石田ひかり、中江有里、『あした』の高橋かおり、宝生舞、『転校生 さよならあなた』の蓮佛美沙子、『花筐/HANAGATAMI』の矢作穂香に至るまで、大林映画のヒロインたちは、その命の目覚めをスクリーンに映し出してきた。
 恐ろしいことに、大林映画に出演した少女以外の女性たち――その多くは、かつて大林映画の中でヒロインの少女として出演し、中年、老年になって再出演した女優たち――の中にも、未だに「少女性」を見出して、主人公たちを「かつての自分」として見守る役を与えられていることだ。赤座美代子、入江若葉、入江たか子、小林かおり、根岸季衣、藤田弓子といった「大林組常連」女優にそれらの役が振られることも多い。年齢を重ねても、彼女たちもまた「青春」を生きている。

 と、ここまで語ると男優にも触れなければ片手落ちになってしまうが、主人公の男の子の大半が大林監督自身の投影であることは間違いない。代表的な俳優は尾美としのりや林泰文だろう。
 意外な配役としては、大林監督が一度しか起用しなかった『金田一耕助の冒険』の田中邦衛がいる。大林監督自身が著書の中で、「大林ワールドに一番ふさわしい俳優」と評しながら、映画があまりにもふざけすぎていて、田中邦衛自身に「ついていけねえ」と言わせてしまったために、再起用を憚られてしまった、という経緯がある。
 しかし、その唯一の出演作である『金田一耕助の冒険』の中で、田中邦衛演ずる等々力警部は、明らかに金田一耕助に「恋」をしているのだ。もちろん、それは決して報われることのない恋である。伝えることが出来ない恋である。金田一耕助も、自分に向けられた警部の恋心は全く推理できず、他のヒロイン、松田美由紀や吉田日出子に目移りしてばかりだ。警部の嫉妬心は燃え上がる一方で、それはやがてカタストロフィを呼ぶ。有史以来、あまた語られてきた恋愛の悲劇、その系譜に連なる物語として観た場合、この大林映画の中でもサイテー作品とも言われる『金田一耕助の冒険』の評価が変わってくることはないだろうか。
 「映画に恋をする」それが映画を観る原理であるのなら、大林映画はまさしく「映画そのもの」だったのだ。どうして愛さずにいられるだろう。

 大林映画の数々が証明しているように、映画は(他の芸術も全て同様だが)、「今このとき」にしか作ることが出来ないものである。コロナが流行ったから、撮影を延期してまたいつか、ということになったら、それは完成したとしても全く別のものになってしまう。「一期一会」が映画の本質だと言ってもいい。
 遺作『海辺の映画館―キネマの玉手箱』の公開に間に合わなかったのは、返す返すも残念で仕方がない。入場制限してでも構わないから、全国公開して、その評判を大林監督に聞いて貰いたかった。
 大林監督にはさらに新作制作の予定があり、梶尾真治原作のタイム・トラベルSF『つばき、時跳び』は監督を代えて制作が続行される模様だ。しかし、「大分三部作」になるはずの完結編は作られないまま。「あと3000本は撮りたい」という大林監督の思いは叶えられなかった。
 近年、戦争を題材とした作品が増えていたのは、この国の未来への警鐘を鳴らす意味も大きかったのだろう。それは大林監督が敬愛する、黒澤明監督や本多猪四郎監督へ自作を捧げるという意味もあったのかもしれない。さらに大林監督の遺志を継ぐ映画作家は現れるのだろうか。

 合掌。


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