mixiユーザー(id:221419)

2020年04月05日21:44

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ハイデカー的考察存在と存在するもの

存在と存在するものは違うらしい
すごく抽象的でわかりにくかったけど
以前見聞きしたデリダの考え方が近いのかもしれない
というかデリダはハイデカーの影響を受けているから逆か・・・

たとえば犬という存在
犬とは何かと聞かれたら
四本足の動物とか
鼻が長いとか
人に良くなつくし
嬉しいと尻尾を振るとか
いろんなイメージを思い浮かべることができる
一般的な犬イメージだ

四本足の鼻が長い動物ってゾウですかなんて揚げ足取りはここではしない

一方で僕の実家で飼っていたゴールデンレトリバーの雌犬チョビは
具体的に存在している(そんざいしていた)犬だ

つまりある特定の、実際に存在している具体的な犬と
一般的な犬という存在の定義とは異なる
ここまではデリダ的な考え方

僕たちは五感を通して「具体的に存在するもの」の情報として蓄積し
それから「一般的な存在」としてそのものを構築する
この場合存在とは経験的なものだと言える
これはハイデカーが批判した経験主義的存在論

ここまでを読んで僕が感じた疑問
経験主義的に存在が規定されるのはわかった
しかし僕たちが生まれる前
五感を通して経験を蓄積し一般的な存在を獲得する以前から
様々なものは存在していたはずなんだ
つまり経験的には規定できない存在があるはず

今日はここで頭いっぱい
続きは早ければまた来週末に

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